投稿者:まなこ 投稿日:2017年 9月 5日(火)08時15分8秒   通報
【池田】 現在の民主主義体制においても、一般大衆の多くは、政治に対して積極的というよりは消極的に参加しているにすぎません。そして、知的エリートによる少数支配の色彩がますます強まっています。その意味では、メリットクラシーに関するただいまの御意見は、たしかにより現状に即したものであると思います。しかし、それがメリットクラシーという制度として実現したとき、大衆と選良との差別がますます明確化され、断絶をさらに深める結果になることも、危倶されます。
また、ただいまの御構想には、ほかに若干の疑問点が残ります。たとえば、メリットクラシーの指導者層は「一部は互選により、また一部は指名によって人選されることが望ましい」といわれましたが、この場合、いわゆる指名者の資格は何によって決めるのか、どういう人がその権利をもつのかが問題となるでしょう。さらに、いかなるメリットクラシーも、なお一般大衆からのコントロールを免れるべきでない、とのことでしたが、選挙権をもたない一般大衆がどのような方法でコントロールを行なうのかも疑問です。また、国民の決定的利害にかかわる問題については拒否権を行使できるといっても、ある政策がはたして自分たちの決定的利害にどう影響するかは、なかなか判断しがたいことだと思います。一つ一つの政策は決定的利害には何ら関係がないようでも、それが積み重ねられたとき、いつしか重大な脅威となっていることが多いからです。
博士の考えられるメリットクラシーが、現代の大衆民主主義に代わる制度として登場してくるとしても、それにはこうしたいくつかの問題点が解決されなければならないのではないでしょうか。大衆に高い道義性と広い見識、正確な判断力が要求されるのは、民主主義の場合も、メリットクラシーの場合も、同じではないでしょうか。さらに、こうした諸条件に欠けるならば、どちらの体制も、本質的には成り立たないのではないでしょうか。 私は、人間の尊厳と平等性という信念のうえからも、やはり、あらゆる人々が平等に参加できる体制を維持すべきであると考えます。むしろ、最も大事なことは、大衆の道義性と知的水準をより向上させて、民主主義体制を担うにふさわしいものにすることだと思うのです。

【トインビー】 最も大事なことは、大衆の道義性と知的能力を向上させることだとの御意見には、私も賛成です。それこそまぎれもなく、今日緊急の要請となっている政治の改善を、確実にもたらす唯一の方法でしょう。しかし、時間という要素がそれを許さないのではないでしょうか。現在、加速度を増した技術変革は、同時に社会変革、政治変革の速度をも早めています。このため、大衆が道義的・知的に向上して、政治の危機を救えるだけの水準に達するころには、破局のほうがはるかに先に訪れてしまっているかもしれないのです。
私が提唱するメリットクラシーとは、それまでの暫定的政体ないしは行政官的機関であり、これを設けることによって時間稼ぎをしてはどうかというものです。これは、かつてのインドにおけるイギリスの官吏制度、また帝政中国の官吏制度に類するものです。これらの制度では、人材は試験によって競い合い、登用されていました。
ただし、これら官吏制度の歴史をみると、全体としてはほぼ体面を保ち、成功を収めてはいるものの、やはり、次のようなメリットクラシー固有の弱点をさらしていることを、認めざるをえません。すなわち、まずアクトン卿のいった「あらゆる権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という点です。次に、メリットクラシーの指導層は、大衆に最も利すると信ずることを誠実に行なうでしょうが、しかしなお、大衆から孤立しやすいため、または必要であり続けたいという潜在的な願望のため、実際には大衆の利益を見失ってしまうことがあるかもしれません。
一般には大きな成功を収めたと考えられているインドでのイギリス官吏制度にしても、この弱点があったことを、じつは物語っているのです。
事実、現代イギリスの官吏制度は、帝政中国の官吏制度を模倣してつくられたものです。この中国の制度は、ローマのそれに比べるとはるかに成功しており、約二千年間にわたって大なり小なり中国の統一と秩序を支えてきたのですが、やはりそこにも限界がありました。ところが、アヘン戦争のさい、中国を侵略したイギリス人の目には、当時この制度がきわめて優れたものとして映り、その後イギリス本国でも採用したらどうかということになったのです。議論百出のすえ、結局、本国でも試験による競争で行政官を任じるという同じような制度が確立され、それが今日広く普及しているわけです。
私も、二度の世界大戦中、臨時の官職に就きましたので、イギリス官吏制度の機能をこの目で見届ける機会に恵まれました。この種の制度にあっては、官吏はすべて試験の結果職務に就くわけですが、にもかかわらず、彼らは巨大な権力をたくわえた閉鎖的、内部志向的な機関をつくりあげてしまいます。まさにアクトン卿のいったように「権力は腐敗する」のです。インドにいたイギリス人官吏も、十八世紀にはすでにすっかり腐敗していました。しかし、当時はまだインド人大衆との、親しい接触だけは保たれていました。ところが十九世紀に入ると、腐敗は一掃されたものの、今度はそれと同時に、かつてのようなインド人大衆との人間的接触を失ってしまったのです。
このことは、おそらくかつての朝鮮における日本人官吏にもあてはまることとも思いますが、E・M・フォースターが、こうしたインドのイギリス人官吏のイメージからヒントを得て、興味深い批判を加えています。彼は、その著『インドヘの道』で、あるイギリス人官吏が、仲間から事実上排斥されていく過程を描いています。すなわち、あるイギリス人女性が、一人のインド人を、彼女にわいせつ行為をはたらいたというかどで告訴します。裁判が行なわれ、事件があったとされる現場に居合わせた、このイギリス人官吏が、事件の虚偽であることを証言し、その結果、インド人は無罪放免になります。ところが、そこのイギリス人社会では、この正しい証言をした男を決して許しません。なぜなら、彼らの立場からすれば、この官吏は一人のインド人を守るために イギリス官吏全体を裏切ったことになるからです。
メリットクラシー体制のもとでは、こうした閉鎖的な知的職業機関が出現しやすく、そこにメリットクラシーそのものの弱点もあるのです。これはまた、+九世紀インドにおけるイギリス官吏制度の弱点でもあったわけです。
教育の面からいっても、インドにいたイギリス人が、善意ある孤高さと同時に、権力を握り続けたいという願望をもっていたことがわかります。民衆の道義的・知的レベルの向上を図る手始めとしては、小学校が適切な機関です。しかし、イギリス人は、インドの子供たちを小学校に通わせるということを、ほとんどといってよいくらい、しませんでした。さらに、大学レベルの教育についても、彼らは、インド人には自分たちより下の地位しか得られないよう、それにふさわしい教育だけを与えるように、しむけていたのです。イギリス人が、責任ある地位をインド人に明け渡したのは、やっと第一次大戦以後のことでした。
つまるところ、メリットクラシーによる政治にもそれなりの弱点があることは、私も認めざるをえません。これは、道義的・知的に洗練されていない選挙民をもつ議会制民主主義に危険があるのと同じことです。残念ながら、人類は、かつて政治面で記録してきた驚くべき悪行の数々を、さらに上回るような悪行を、今後重ねていくことになるのではないかと危倶されます。

【池田】 そうならないよう、われわれは努力していかなければなりませんね。
いま博士が指摘された官吏制度の欠点は、日本においてもいろいろな形で認められます。御承知のように、日本は早くから中国を手本として国家体制を整えてきましたが、官吏登用のための試験制度が採り入れられたのは明治以後で、それ以前は家柄などによって固定されていました。近代になって試験制度が採用されてからも、門閥や学閥がそこに絡み、非常に複雑な閉鎖社会を形成しています。日本の議会制民主主義の健全な発展を妨げたのは、まさにこの伝統的な官吏制度であったといっても過言ではありません。日本においてとくに強く要請されるのは、やはり議会制民主主義の確立であり、そのためには、私は官吏制度の伝統を弱めることが必要だろうと考えています。
しかしまた、議会制民主主義には固有の弱点もあるわけで、イギリスなどの場合は、それを補うため、官吏制度の強化が要求されたのかもしれません。とすると、理想的な政治体制は、この議会制民主主義と官吏制度がバランスを保ちながら、相互に補い合っていく体制であるのかもしれません。しかし、そうした機構上のバランスや健全な機能を支えていく大前提は、やはり一般大衆の全体的な知的・道義的水準の向上です。これこそ根本の課題というべきでしょう。
そのうえに立って、メリットクラシーを強めていくか、デモクラシーをより強固なものにしていくかは、それぞれの国情によるといってよいでしょう。