投稿者:まなこ 投稿日:2017年 8月30日(水)09時19分16秒   通報
【池田】 自己の存在の基盤である体制の存続を願う民衆の心が、権力悪を支えているということですね。そうした権力の暴虐に拍車をかけるものは、一つには強い者の前に屈服し、あるいは進んで取り入って、できれば自分もその余禄にあずかりたいという、人間の醜い心であるといえましょう。
強い悪は弱い悪を引き出して掌中に収め、ますます強大な悪へとふくれあがります。私は、これが権力悪の実態であり、最も恐るべき悪の自己増殖作用であると考えます。

【トインビー】 その通りですね。そしてその自己増殖作用は、社会の規模が大きければ大きいほど、それだけ広範囲にわたるものです。たとえば、今日ではあらゆる諸民族が世界的規模の一社会へと合体しつつあります。ところが、この社会は、すでにいくつかの理由から、崩壊の危機に瀕しています。
まず第一の理由は、きわめて非協調的な百四十の地方主権国家の存在が、全面的な政治的無秩序を生み出そうとしていることです。第二には、人口爆発が、非常に多くの問題を惹起しています。第三には、最近の驚異的な技術進歩が、人類の少数者に新たな力をもたらし、それを彼らが私有化していることです。この新たな力をもつグループは、世界の諸民族のうちの富裕少数者と呼ぶことができるでしょう。さらに、彼らは、自らの欲望を満たすためにその力を使って、地球資源のうちのきわめて不当な取り分を消費しています。そうした資源の多くは、再生のきかない、かけがえのないものなのです。

【池田】 たしかに御指摘の通りです。中国の古い言葉に「苛政は虎よりも猛し」というのがありますが、現代において人間の生存を脅やかす最大の敵は人間自身であるという様相が、ますます顕著になっています。人間は、人間自身をいかに治めるかを学ばなければ、破滅の淵に落ちることでしょう。

【トインビー】 人類が破滅の淵に落ち込む危険性についての御指摘ですが、この点について私の考えを付け加えるならば、人類は、富裕者の貪欲さが貧困層の増大や国際関係の混乱と相まって、いまにも全世界を災禍に落とし入れようとしているという事態に、突如として気づくことになるのではないでしょうか。私は、そうした事態のなかで、共産主義的=ファシスト的な型の世界的な全体主義運動が、地方主権国家、民主主義政治、自由私企業制といった既成の諸制度を打ち倒すのではないかと予測します。そして、そうした全体主義運動が、ぎりぎりのドタン場で人間事象を安定させることになるでしょう。しかも、それは、抜本的な措置によってなされ、これに欠くことのできない基本的な改革には、苛酷な、不公正な行為が絡んでくるのではないかと思われます。この世界的革命運動は、全世界的な政教一致の組織形態を形成し、独自の新たなイデオロギーを生み出すことが考えられます。そして、この世界的政党の綱領の主要な項目としては、いかなる代価を払ってでも人間生活万般にわたる安定化を図る、ということが謳われるでしょう。
なお、私は、この革命的事業が一人の苛酷な世界独裁者の指揮下に達成されたとき、一つの反動が起こって、それまで不可欠の要件であった安定化自体も、より穏当な、したがって、より持続性のある形のものへと、改変されるのではないかと思います。これは第二の世界独裁者によって成し遂げられることでしょう。彼は、その前任者の苛政が反生産的であったことを経験的に学んでいるはずですから、彼のとる措置は、人心の機微をつかんだ柔軟性のあるものになるでしょう。

【池田】 その世界独裁制の出現という博士の予測は、私にはきわめて大胆な御意見のように思われます。私は、個人の自由意志を踏みにじるような独裁性の出現が二度と再びあってはならない、とつねづね願っております。博士が人類の未来にそのような不安を予見されるのは何故か、どのような根拠に基づいてなのか、もう少し詳しく聞かせていただきたいと思います。

【トインビー】 この点については数多くの歴史的事実をあげることができますが、とりあえず、いま思い浮かぶ実例を三つだけ述べてみましょう。それは、日本、中国、ローマの歴史上にみられた事実です。
すなわち、まず、豊臣秀吉の事業を継承した徳川家康は、長期的な徳川幕府体制を確立しました。また、始皇帝が樹立した秦帝国は、十四年間――紀元前二二一~二〇七年――の短命に終わりましたが、その後継者である漢の劉邦が築いた帝政中国は、断続的ながらも二十一世紀以上の長きにわたって存続しています。同じく、ジュリアス・シーザーを継承したアウグストゥスは、ローマの帝政を確立しました。これは、紀元前三一年から紀元二八四年までは原形のまま、ついで一二〇四年まではより専制的な形で、コンスタンチノープルで存続しました。
これら三つのケースでは、いずれも過激的な最初の帝政に続いて樹立された、より穏健な形の帝政においてすら、時折りは、そしてまたある程度までは、その権力が不当に、かつ抑圧的な方向に行使されています。ただし、概していえば、これらの体制は、それぞれの時代と場所の特殊な状況にあっては、他に考えられるどんな体制よりも、小さな悪だったわけです。

【池田】 人類社会の崩壊という深刻な危機に陥ったとき、あるいは、人類は世界的な独裁体制を出現させるに至るかもしれません。私も、そうした危険性はありうると思います。しかし、この世界独裁制出現の可能性については、後ほど、もう少し詳しく伺うことにしたいと思います。
ともあれ、私は、人類が平和と幸福を求めて努力を重ねていくとき、他のあらゆる問題は解決しえても、最後まで残るのは権力悪の問題ではないかと思います。権力悪を形成している根源の実体は、人間生命に内在する善性に対する悪性だからです。権力の究明、権力が生み出す悪についての究明は、もちろん社会体制の問題もありますが、究極のところは、人間性それ自体の解明、生命の本質の解明にまで遡らなければならないでしょう。

【トインビー】 権力の本質的な悪が、本来人間性にそなわる傾向性であり、この悪の力を弱める方途を究明すべきであるとの御指摘は、まことにその通りであると思います。私は、そのための唯一の効果ある方途は、各個人の行為において、利己主義、つまり貪欲を、利他主義、つまり愛に従えさせていくことであると信じています。いいかえれば、自己超克こそが、個人にとっても人類全体にとっても、幸福への唯一の道なのです。

【池田】 それをいかに実践し、実現するか――ここに、人間が抱えている最大の課題があるわけです。根本的には、各個人の自覚と自己超克の努力以外にないことは当然ですが、社会全体としても、考え方の基本をその方向に向けていかなければなりません。また、そうした人間の変革が全体主義による個人の尊厳の侵害に陥らないようにするためには――つまり、各個人の自覚的な覚醒によって幸福の追求がなされるためには――万人が納得できる哲学、宗教が、どうしても必要だと思うのです。