投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月27日(木)08時31分39秒   通報
6 地方国家解消論

【池田】 国家の威信が失墜しつつあることは第二次世界大戦後の注目すべき傾向ですが、これはとくに、国家としての形態が高度に整備された、いわゆる先進諸国において顕著にみられます。しかし、この国家という概念は、博士も古代の集団力に対する崇拝の復活であるといわれるように、近世以降にようやく明確化してきたものです。人間にとって国家が有用であることは否定できませんが、不可欠なものではなく、まして尊厳なるものでもありません。むしろ国家中心のイデオロギーとしての国家主義は、人類にとって弊害のある面が強いといえましょう。

【トインビー】 ナショナリズム――地方民族国家の集団力に対する崇拝――は、脱キリスト教時代の西洋における主要な宗教となり、他のいかなる近代宗教よりも熱心に、多くの人々から信奉されてきました。この信仰は世界的なものとなりました。今日、およそ百四十の公式の主権地方国家があり、そのいずれもが、あらゆる類いの残虐行為を許された、神聖な権利をもつ神として遇されています。これまで主権地方国家は、理念のうえでも実際の面でも、いかなる法の拘束も受けることがありませんでした。しかし、第二次世界大戦を境として、地方民族国家への崇拝心が減退してきたことは、御指摘の通りです。

【池田】 その原因として、第一に、経済、文化をはじめ人間の諸活動について、国際交流が活発になってきたことがあげられると思います。これらは国家権力の介入する領域からはみ出ており、国家権力の存在は、かえって自由な国際交流の諸活動を妨げると感じられるわけです。
第二に、今日は核戦争が予想される時代であることです。その結果、戦争の規模がもはや一国の手には負えなくなってしまっていることが、国家権威の失墜の重要な原因であると考えます。
すなわち、国際的な紛争においては、有力な発言権をもつものはいわゆる超大国です。ただし、この超大国もあらゆる権能を有するわけではなく、したがって、集団防衛体制などの同盟形態に頼らざるをえません。しかし、そうした集団防衛体制にあって、やはりあくまで主導権を握っているのは、核兵器を保有する超大国であり、中小国が大胆な発言をしても無視されてしまうことはいうまでもありません。
いいかえれば、単独で戦争をするということがかつて国家の特権であったのが、今日では、核兵器の破壊性のゆえに、いかなる国家も単独では戦争が行ないがたくなっているということです。

【トインビー】 私も、御指摘の第一と第二の点を合わせたものが、従来の神格化された地方国家の権威を今日失墜させている主因であると思います。
最近の技術の進歩がもたらした一つの影響として、軍事・非軍事を問わずあらゆる人間活動の規模が、いちじるしく拡大しています。われわれは少しでも意義ある活動を展開しようとすれば、その唯一の有効な規模が、地球的規模とならざるをえないような時点へと近づいているのです。
このことは、かつて人間の諸活動に最も都合のよい単位であった地方民族国家というものが、今日では、もはやきわめて不便な存在となり、ましてそこに権力が保持されているかぎり、まったくの障害となっていることを意味します。しかも、活動展開の規模がこうして拡大しつつある一方、地方国家の大きさは縮小しつつあります。今日、地球表面の可住地域は、第二次世界大戦前の同地域における地方国家の、ほぼ二倍の数の地方国家に分割されています。

【池田】 さらに、国家の権威が失墜している第三の原因として、企業や労働組合など、国家から独立した目的をもつ社会集団の組織化が進んでいることをあげなければなりません。個人は、これらの個別集団への帰属意識を強くもつようになっています。これは、国家への帰属意識よりもはるかに強いものです。

【トインビー】 それも重要な点ですね。経済的目的をもついくつかの民間組織――営利企業体や労働組合――は、すでに各国政府機関よりも強大となり、したがってその成員にとっては、こうした組織のほうが、政治的市民権よりも重要なものとなっています。各国政府は、多国籍的規模となった営利企業体に対して、もはや対抗しきれなくなっています。労働組合はまだ国内的規模の域を出ていませんが、それでも各国政府はすでにそのいくつかに対してさえ、対抗しきれずにいます。
一五〇〇年頃、イギリスでは、国家がいかなる個人、いかなる組織も抗しがたいほどの、権力の優位を勝ち得ました。こうした国家至高権の設定は、イギリスではヘンリー七世によって成就されたわけですが、日本ではその後ほぼ一世紀を経て、豊臣秀吉、徳川家康がこれを達成しています。
しかし、今日のイギリスでは、各種労働組合が公然と国家に反抗できるようになっています。これはかつてイギリスの貴族たちが、その権勢をヘンリー七世によって打ちひしがれる以前、国家に刃向かうことができたのと同じことです。