投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月 2日(日)15時35分56秒   通報
◆ 5 世代間の断絶と“体制”

【池田】 新旧世代間の断絶は、今日、切実な問題として広く論議されていますが、両世代の間できわだって異なっているのが、まず体制と人間の関係のとらえ方でしょう。
私は、いかなる世代も自由、平等、個人の尊厳――とりわけ生命の尊厳――などに対する考え方は、おそらく原則的に一致していると思います。ところが古い世代のほうは、個人の尊厳を認めながらも、ややもすると体制の側に傾くきらいがあります。彼らは、自分の生存が体制に守られており、したがって体制の存立が脅かされれば、生命をなげうってもこれを擁護しなければならないとさえ考えます。そうなると、自由といい生命の尊厳といってもいわば観念にすぎず、それよりも体制の保持のほうが、現実的で基本的な前提となってしまいます。
こうした考え方は、新しい世代の考えと真正面から対立します。若者たちにとって個人の自由と生命を脅かす最大の元凶は、まさに自分たちを守ってくれるはずの体制にほかなりません。彼らは、古い世代が生命の安全を守るために、体制によって自由を奪われ、逆に生命を失っていったことを知っているからです。これは、若い世代にとっては、耐えられないほど愚かしいことに思われるわけです。
これに対して、古い世代が体制を擁護しようとするのは、そこに自分たちの権威や利害の意識が絡んでいるからだとも考えられます。彼らも若いときには、一つ前の世代に権力を独占され、そのもとで苦い経験を味わわされたはずです。ところが、いまようやく自分たちが権力を握ったとき、彼らの後に続く若い世代は、体制の権威そのものを認めないわけです。
こう考えてきますと、古い世代の人々の気持ちも理解できないではありません。と同時に、若者たちの心情にも十分共鳴できるものがあります。
すなわち、若い世代は、なにはともあれ人間の尊厳を守らなくてはならないことを痛感し、そのためには体制の傲慢を打破しなければならないと考えています。反体制の若者にとって問題なのは、とくに体制者の特権意識でしょう。体制は各時代によって変遷し、交代してきていますが、しかし、どのような体制も、それにつかない人々を常に疎外しています。そうした仕組み、そしてそれを支えてきた意識に対して、若い世代は抗議し、対決しているわけです。
その一つのあらわれが、世界各地の大学で吹き荒れたスチューデント・パワーの嵐であることは周知の事実です。また、これと違った反抗の型として、多くの学生がヒッピー化し、既成の権威への忠誠の印ともいうべき、服装や整髪の伝統をかなぐり捨てました。風変わりな服を身にまとい、長髪をした若者たちは、ライフ・スタイル(生きる姿態)を変え、カウンター・カルチャー(対抗文化)なるものを創り出そうとしています。この、いわゆる“二次文化”的な風潮は、形を変えつつ今日なお流行しています。
しかし、こうした若者たちのレジスタンスがどれほどの効果を生むかについては、まださだかではありません。一般の市民には、理解しがたい現象として映っているのが実情のように思われます。その反面、若者への心情的な支持と、それに同化する風潮が広がるにつれ、体制側の世代が不安に陥りつつあることも事実でしょう。現に体制を守るという自分たちの行為に対してさえ、彼らにはある種の自信喪失のさまが認められます。
年月の経過とともに、古い世代は自然に去っていくものです。したがって、新しい世代が主導権を握るのは時間の問題です。しかしながら、現代の世代間の断絶の深刻さは、自然の成り行きに任せればよいというものではありません。何らかの解決策が提示される必要性を痛感するのです。いまや、現代文明を建て直すため、横にはあらゆる民族、縦にはあらゆる階級、年代の人々が、力を合わせていかなければならない時代にきているからです。

【トインビー】 御指摘の通り、今日、まさに世界的な広がりで反体制運動が起きています。しかし、反体制の動きそのものは、とくに新しいものではありません。
かつてファラオ統治下のエジプトにおいて、古王国時代にピラミッドを築いた体制は、第六王朝の崩壊とともに打倒されました。古代ギリシア・ローマ世界でも、体制は西暦紀元三世紀に倒されています。フランスでは、フランス革命によって旧体制が倒されました。中国では、旧体制は、有史以来、ファラオ時代のエジプトを除く他のすべての体制よりも長く存続しましたが――ないしは、幾度か衰退しながらもそのつど回復しましたが――やはりこれも清朝の解体とともに打倒されています。
現代における世界的な反体制運動のはっきりした特徴は、この抗争が、主として体制そのもののなかで、若者と中年層との世代間戦争という形をとってきていることです。もちろん過去の反体制抗争の多くも、体制内の若者によって指導されていたことは事実です。また、現在の世界的な紛争にあって、富裕国であると貧困国であるとを問わず、貧困線以下の人々が反徒の大部分を占めていることも、やはり事実です。しかしながら、体制内の若い世代がすべて一様に反逆している――この点が、現代の社会的混乱を特異なものにしているわけです。

【池田】 たしかに、体制と反体制の抗争は過去のいつの時代にもありました。しかし、そこでは多くの場合、体制側が勝ち、反体制側が屈伏させられていると思います。ただし、体制があまりにも腐敗して多くの矛盾を抱えたとき、反体制に打ち倒されて大きな歴史の転換がなされてきた――これがこれまでの一つのパターンであったように思われます。
御指摘の通り、かつての体制対反体制の抗争と現代の世代間対立との大きな相違点は、反体制の若者の側に認められます。過去の反体制は、多くの場合、体制の外にあったようです。たとえば、ギリシア・ローマ世界の体制を倒したのはヘブライ思想であり、ゲルマン民族であったとされています。もちろんこれらも、ギリシア・ローマ世界の体制の内部に入って、そこで変革を行なったようですが――たとえば、西ローマ帝国を倒したゲルマン人傭兵は、当時の体制の重要な支えでした――しかし、本質的には、体制外の存在であったと思います。フランスのアンシャン・レジームに対するブルジョワジーも、一応は旧体制内の重要な支え手ではありましたが、やはり、貴族や僧侶で占められていた特権階級からすれば、体制外にはみだした存在であったことは否定できないでしょう。
これに対して、現代の反体制の若者の主力は学生たちです。現体制の中心階層の子弟であり、将来の体制者となるべき“予備軍”ともいえ、見方によれば、最も体制内的存在であるとさえいえるでしょう。その彼らが反体制の急先鋒に立っているところに、現代の深い苦悩を認めざるをえないわけです。現代人はもっと真剣にこの問題と取り組み、何らかの解決の方途を見いだす必要があります。