投稿者:なまこ 投稿日:2017年 5月27日(土)08時01分38秒   通報 編集済
【トインビー】 私は、ニヒリズムとは、それに代わるべき何らのビジョンももたないままに、人生と宇宙にただ絶望し、これを拒否することであろうと想像します。こうした否定的な反応が勢いを得て一般的になると、それは文学その他の形式をとって表現されやすいものです。ある心理状態が、文学という説得力のあるものによって表現されると、その心理状態は強化されて定着してしまいます。その意味で、私も同じく、ニヒリスティックな文学は嘆かわしく思うのです。
いわゆる内省ということには、次の二つの目的のいずれかが考えられます。一つは、他の人々や宇宙との触れ合いを避けて、自己の内面に閉じこもることです。もう一つは、精神の意識下の深層において“究極の精神的実在”との触れ合いを探求することです。この二つの目的のうち、前者をめざす内省は孤立主義的なものであり、後者をめざす内省は調和主義的なものです。また、前者は否定主義的であり、後者は肯定主義的なものとなります。内省的な文学は、それを動機づけ啓発する内省の性質によって、否定主義的にも肯定主義的にもなりうるわけです。私は、否定的な内省文学は嘆かわしいと思いますが、肯定的な内省文学はむしろ歓迎したいと思うのです。
私はまた、文学の役目というものが、善悪いずれにせよ、特定の世界観を広めることにあるとは考えません。それが社会的であれ形而上的であれ、目的を意識的にもつ文学は、文学本来の目的を果たさずに終わってしまうことでしょう。文学固有の働きは、人間生活の諸事実、諸問題を描写し、論評することにあります。私は、文学とは率直で、しかも勇気あるものでなければならないと思っています。

【池田】 文学の目的が限定されることはもちろん誤りであり、あくまでも創造的精神の自由な発露が認められなければなりません。しかし、そうした個人のなかに自由な創造的精神が生み出されるためには、人生に対する真撃な姿勢、人間の苦悩に取り組む何らかの動機がなければなりません。こうしたものが作者の心にあって初めて、それが作品として外に発現するのであり、そしてそのとき、万人の心を打つ、偉大な有用性をもった文学が生まれてくるのだと思います。
そうした意味で、私は、もちろん文学の目的を初めから規定するわけではありませんが、あくまでも結果として、あえて飢えた人々さえも救うことのできる偉大な文学が創造されることを期待してやまないのです。

【トインビー】 芸術のための真の芸術は、同時に人生のための芸術です。もちろん、芸術家がもし人類同胞のためでなく、もっぱら専門家仲間だけのために著述するような職業的専門家になってしまえば、芸術はたしかに不毛となってしまうでしょう。
私の見解では、そうしたものは、もはや芸術のための芸術でさえなく、芸術職人のための芸術にしかすぎません。しかも、それは芸術職人のためということさえはき違えているのです。そうした意味からも、私は、文学にしても、あるいは科学や学問にしても、少数者だけのものになってしまったなら、それこそ不幸なことであり、社会的病弊の兆候であると思っているのです。

【池田】 私も、文学はやはり、人々に生きる勇気を与えるものであってほしいと念願しています。
人間が地獄に向かって真っさかさまに落ちていく姿に“美”を求めようとするような文学が与えるものは、生への絶望的な気分でしょう。あくまで人間として生き抜く真摯な姿のなかに、人間らしい生命の尊厳が見いだされると思うのです。

【トインビー】 文学は、人生のさまざまな挑戦に応戦してこれに打ち勝つ人間本性の力というものに、決して望みを失うことなく、あくまでも人生の諸悪や困難に対して真正面から立ち向かうべきです。たとえそれに打ち勝つことの保証は何もなくとも、われわれは、なお人生の戦いに勝利を得るべく、奮闘しなければなりません。