2017年8月23日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 8月23日(水)00時14分21秒 通報 編集済 北川:先ほどでてきました「総勘文抄」の文についてですが、その中に「身を十方法界の国土に遍じ 心を一切有情の身中に入れて」とありました。 私達の生命に具体的に当てはめますと、この部分は、死の生命の「我」が、精卵細胞として 顕現することをさしているのでしょうか。 池田:「御義口伝」の「法界を一心に縮める」という生の働きを、さらに具体的に説かれた文章とい えるでしょう。 「身を十方法界の国土に遍じ」とは、私達の生命体は、宇宙の物質によって構成され、環境と 連続しているとの意味です。 私達の生命にあてはめてみると、この世界に転生した瞬間の姿である精卵細胞を構成する 物質 - つまり、元素とか原子をさしているが - は精子と卵子から引き継いだ ものです。 精子や卵子は、両親の身体の一部であり、人間の肉体を形づくる物質と何らかわったもの ではない。 川田:医学的にいいますと、転生の場は、母親の胎内です。もっと精密にいいますと、卵管の膨大部 と名付けられた部分です。 母親の生命は、一個の存在として、その環境とも連続しています。 池田:「依正不二」の原理だね。 川田:母の胎内に生じた精卵細胞も、母親の身体を通して、自然界とも人間社会とも連続していると 考えられます。 池田:宇宙に実在する物質を凝集し、一個の細胞として顕れながらも、国土と連続し一体です。 転生の場はけっして、この宇宙の外にあるのではない。 今、私達が生を営んでいるこの国土にふたたび姿をあらわすのです。 しかも、精卵細胞は単なる物体ではない。「三身」を備えた有情としての姿をとっています。 「心を一切有情の身中に入れて」と説かれているとおりです。 もっとも、いまここで話し合っているのは、人間生命としての有情だが、他の生物に転生する ケースも含めれば、この文章の意味がさらにあきらかになるでしょう。 北川:「総勘文抄」には、この文章のあとに引き続いて、「内よりは勧発し外よりは引導し内外相応 し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有る可からず」と 書かれています。 ここに説かれている「因縁和合」の「縁」については、人間生命への転生の場合は受精現象が これに相当すると思います。 「内より勧発する因」とは、死の生命に内在する発動性をさすのでしょうか。 池田:死の状態においては、生命の発動性は、冥伏して発現することはできません。 だが、たとえ冥伏の状態にあるとはいえ、死の生命にもさまざまな種類の力がうずまいている でしょう。 川田:確認の意味も含めてうかがいますが、たとえば、人界の境涯が最も強い生命体の場合、その生 命が死から蘇るとき、人界にともなった「如是力」が主要な働きをなすのでしょうか。 池田:理性とか良心とかを支える、人間らしい欲望が、その生命の内から盛り上がってきて、人間生 命として再生する為の本源力となるのです。 そのほかに、もし畜生界などが有力だと仮定すると、その本能的欲望の力が、再生する生命体 の形態を決定するのです。 さらに、二乗の洞察力とか、菩薩界の勇猛心などが加わる場合もありうるのです。 こうして、一個の生命自体にうずまく種々の境涯からの「如是力」が混ざり合って、蘇生の ための原動力をなすでしょう。 つまり、一個の生命内奥から勧発する種々の力こそが、再生を呼び起こす本質的な因と なるのです。 北川:死せる生命体にうずまく総合的な力 - つまり「本因」 - を、それに相応する「縁」 が引きずり出すということでしょうか。 例えば、人間の受精現象が、人界を基底部とした死の生命を生の世界へと導きだすと -。 池田:いや、そうではない。人間生命へと顕在化するための「本因」を宿した死の生命の「我」が、 みずからの傾向性に最も適合した 卵子と精子の結合をとらえるのです。 そして、卵子と精子の結合という受精現象を助縁としながら、一個の生命体が、この世に出現 するのです。 この過程を「総勘文抄」の文章にあてはめてみると「内よりは勧発」するのは、死の生命体に 宿る総合的な「如是力」であり、人間としての生命体をうるための「本因」です。 「外より引導する」助縁となるのは、受精という現象です。 内から発動する「本因」とその顕在化を助ける「縁」が、互いに相応し、ぴたりと一致した 瞬間、人間生命としての精卵細胞が生まれるのです。 つまり、精卵細胞は「因縁」が「和合」した結果であり、産物であるといえましょう。 同 196-203 転載終わり Tweet