投稿者:大仏のグリグリのとこの 代理投稿 投稿日:2017年 8月12日(土)19時54分49秒   通報
【関連資料Ⅱ】法悟空著『小説・人間革命』第4巻「生命の庭」

十一月中旬、元旦から決意した唱題は、すでに二百万遍になろうとしていた。
そのようなある朝、彼は小窓から射しこむ朝日を浴びて、澄みきった空に、
澄みきった声で、朗々と題目をあげていた。

彼は、何を考えていたのだろう。何も考えていなかった。

壊滅に瀕している事業のことも、
早く釈放されたいという焦慮も、
困窮しているであろう妻子のことも、
おなじ獄舎にいる老体の師、牧口常三郎のことも、

この時の彼の念頭からは、すべて消えていた。

あえていうならば、ここ数日、再三読みかえしている法華経の
従地涌出品第十五だけが、頭の片隅に残っていた。

陽は暖かかった。春を思わせるような微風が、彼の頬をなでた。
ほのぼのとした喜びが、どこからともなく涌いてくる。
一切の苦悩を洗いながしていくような、清浄で平穏な、それでいて無量の感動に包まれているのであった。

――是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて、下より発来せり。一一の菩薩、
皆是れ、大衆の唱導の首なり。各六万恒河沙等の卷属を将いたり。

況や五万、四万、三万、二万、一万恒河沙等の卷属を将いたる者をや。況や……

彼は自然の思いのうちに、いつか虚空にあった。
数かぎりない、六万恒河沙の大衆の中にあって、金色燦然たる
大御本尊に向かって合掌している、彼自身を発見したのである。

夢でもない、幻でもなかった。それは、数秒であったようにも、
数分であったようにも、また数時間であったようにも思われた。
はじめて知った現実であった。

喜悦が全身を走り、――これは嘘ではない、おれは今ここにいる! と、自分で自分に叫ぼうとした。

その時、またも狭い独房の中で、朝日を浴びて坐っている我が身を感じたのである。
彼は一瞬、范然となった。両眼からは熱い涙が溢れてならなかった。

彼は眼鏡をはずして、タオルで抑えたが、堰を切った涙はとめどもなかった。
おののく歓喜に全生命をふるわせていた。

彼は涙のなかで「霊山一会、儼然未散」という言葉を、ありありと身で読んだのである。

彼は何を見、何を知ったというのであろう。

――此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、
日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり……

彼は狂喜した。彼はこれまで、日蓮大聖人の三大秘法禀承事を拝読するごとに、
いつもこの「口決相承」とは何か、と頭を悩ませてきた。

だがここに、なにも不思議でないことを、ついに知ったのである。

――あの六万恒河沙の中の大衆の一人は、この私であった。
まさしく上首は、日蓮大聖人であったはずだ。
なんという荘厳にして、鮮明な、久遠の儀式であったことか。

してみれば、おれは確かに地涌の菩薩であったのだ!

彼は、狭い部屋を、ぐるぐる歩きまわっていた。
そして机に戻ると、ふたたび涌出品から読みはじめたのである。
彼は机をたたきながら、「この通りだ。このとおりだ」と、深く頷いた。

さらに寿量品に進み、つぎつぎと八品を読みすすんで、嘱累品にいたった。
各品の文字は、急に親しさに溢れ、訴えてきた。

まるで、昔書いた手帳を読みかえす時のように、曖昧であった意味が、いまは明確にくみとれるのである。

彼は、わが眼を疑った。だが、法華経を、このように理解するにいたった我が心の不思議さは、
いささかも疑わなかった。激しい、深い感動のなかで、彼は我が心に言った。

――よろしい、これでおれの一生は決まった。きょうの日を忘れまい。
この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ!

彼は同時に、わが使命をも自覚したのである。そして、来し方を思い、
はるかな未来を望みながら、彼はいま四十五歳であることを念った。

年齢が思いうかぶと、彼も明治に育った人らしく、……孔子が生涯をかえりみて、弟子のために、
年齢と思想との理想的な調和を十年単位で説いた図式が、念頭に浮かんだ。

――四十ニシテ惑ハズ、五十ニシテ天命ヲ知ル。

四十五歳の彼は、そのどちらでもない。しかし、いまの彼は、この二つを一時に知覚したのである。
彼は大股に歩きまわりながら、なにものかに向かって叫んだ。

「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先だつこと五年にして天命を知りたり」

この叫び声を聞きつけた看守の一人は、怪訝な面持で、
戸田城聖の独房を、じっと覗いて立ち去った。

ちょうど同じ頃、別棟の独房では、牧口常三郎会長が、ひとり病んでいた。老齢による衰弱である。
一年半にわたる獄中での栄養失調がそれに加わり、昭和十九年十一月十七日、みすがら病監に移り、

翌十八日、安詳として七十三年の崇高な生涯を閉じたのである。

戸田城聖が、恩師の死を知ったのは、五十二日目の翌二十年一月八日のことであった。
その日、彼は予審廷で、一人の予審判事から、牧口の死を知らされたのである。

彼は慟哭した。身も世もなく悲しみ悼んだ。そして、一滴の涙も涸れつくすまで泣いた。
しかし、すでに我が身の重い使命を自覚していた彼は、広宣流布という大業によって、

この仇は必ず討ってみせると我が心に誓った。