投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月19日(金)12時02分25秒   通報
天照大神とて、法華経守護の神である。
法華経に祈ってこそ天照大神も功力(くりき)をあらわすのである。

しかるに、文底独一(もんていどくいち)の法華経を拝まず、天照大神だけを祈るがゆえに、
天照大神の札に魔が住んで、祈りは宿らず、一国を狂人としたのである。

しかも、御開山日興上人の御遺文(ごいぶん)にいわく
「檀那(だんな)の社参物詣(ものもうで)でを禁ずべし・(御書一六一七㌻)と仰せである。

この精神にもとづいて牧口会長は、「国を救うは日蓮大聖人の御真意たる大御本尊の流布以外にはない。
天照大神を祈って、なんで国を救えるものか」と強く強く言い出されたのである。

当時、御本山に於いても、牧口会長の宗祖及び御開山のおきてに忠順に、どこまでも、一国、一家も個人も、
大聖の教義に背けば罰があたるとの態度に恐れたのである。(しかし)信者が忠順に神棚を祀らなければ、
軍部からどんな迫害が来るかと、御本山すら恐れ出したようである。

昭和十八年六月に学会の幹部は登山を命じられ、
「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、
二上人立会いの上渡辺慈海(じかい)師より申し渡された。

御開山上人の御遺文にいわく、

「時の貫首(かんず)たりと雖(いえど)も仏法に相違して己義(こぎ)を構えば之を用う可からざる事」
(御書一六一八㌻)

この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申し上げて、下山したのであった。
しこうして、その途中、私に述壊(じゅつかい)して言わるるには、

「一宗が滅びることではない、一国が滅びる事を嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。
今こそ、国家諫暁の時ではないか。何を恐れているのか知らん」と。

戸田城聖全集 第3巻より

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