投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月 6日(土)23時30分18秒   通報
戸田城聖全集 第三卷より

この文、日本の国にあたり、朝鮮民族にあたりはしないか。

「我が法の滅せんを見て。とは、仏教、真実の仏教が滅するのを見て、国の主権者がのほほんとしてバカな顔をしていれば、
三つの災難があって、主権者がどんな政令を下しても民衆は言うことを聞かないということだ。日本国の姿はどうであろう。
朝鮮民族はこれをもってどう考えるか。

「常に隣国の侵ニョウする所とならん」と。

この文、東洋において日本および朝鮮を除いて、いずこの国をさすか。

顧(かえり)みよ、偉大なる仏の慈悲、母の子におぼれた愛情ではない。厳たる父の愛情である。

この理は、また、神が、神自身のなすべきことを怠(おこた)って、
正法を護持しないがゆえに、他国の帝釈の諌め(いさめ)をうける仏法の理であって、
これは、後に引く諫暁八幡抄にあきらかで有れば、吾人はその時これを述べるであろう。

「暴火、暴風、暴水」と、かかることのありしや、また、これより先起こるとするや、

仏の教えなれば、吾人はこれを信じるものである。「人民を吹き漂わし内外の親戚それ共に謀反せん」と、

上は朝鮮にこのすがた顕著にして、下の文、日本に歴然たり、恐るべし、悲しむべしである。人民が行くところがない。

楽土に対する希望はないほど悲しきことはない。自己の小さな生命の努力は、大風に吹き散らされる鳥の羽毛のごときものであるからだ。

ただ、天を恨み(うらみ)地に泣き、救いを求めて助けなく、泣く声もただ風を騒がせるだけである。

ついには神を恨み、仏を恨み、世をのろい、人を怨み(あだみ)、地獄・修羅・業火に身を焦がすだけである。

<続く>