投稿者:虹と創価家族 投稿日:2017年 4月20日(木)08時24分51秒   通報
「さんふらわあ7」号の到着
1980年1月14日

昭和55年初頭――あの狂気じみた宗門事件の暗黒の嵐が、まだ吹き荒れていた日々
であった。
青年の決意に燃えて立ち上がった、わが四国の賢者たちが、神奈川で広宣流布の指揮を
とっていた私のもとへ、客船をチャーターして、海路、意気揚々と駆けつけてくれたので
ある。
同志の胸の奥は、義憤に燃えたぎっていた。
“なんと卑劣な宗門か。なんと残酷な宗門か。先生を狙い打ちにして、広布の師弟の絆
を断絶させようとの謀略だ。なんという卑怯な陰謀だ。宗祖の精神に背いた、この悪逆な
しわざは永劫に広布の大汚点として残りゆくことは間違いない!”と。
学会を撹乱させよ、池田を倒せ――これが、未曾有の正法の大興隆を実現し、無量無辺
の世話になった学会に対する仕打ちであったのだ。その陰には、例の“提婆”等が結託し
ていたことは事実である。

◇◇

煌々と光る朝日がまぶしかった。
波はおさまり、大空は晴れ渡っていた。
待ちに待った「さんふらわあ7」号の、大きな堂々とした船体が見えた。1000人もの四国
の勇士を乗せて、日本の文明開化の夜明けを創った歴史のある横浜港に、その姿を現した。
私は、側にいた職員たちに言った。
「さあ、四国の同志を桟橋べ迎えに行こう! 皆で大歓迎しよう!」
海路はるばる来てくださったのだ。経文には、法華経を行ずる人をば、「当に起って遠く
迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」と説かれているではないか。
私は、春のような陽光に包まれた、横浜港の大桟橋まで足を運んだ。そして、手を振り、
瞳を輝かせながら下りてくる、凱旋将軍である1000人の使命深き勇者たちを、一人ひとり、
心から歓迎したのであった。
山下公園の前にそびえ立つ神奈川文化会館では、創価の四国と創価の神奈川の、友情と
使命の交流の幹部会が、明るく、また明るく、楽しく、また楽しく、にぎやかに、力強く
開催されたのであった。
午後7時、わが四国の同志は、疲れを笑顔に変えて再び旅立っていった。
わが永遠の戦友よ、断じて負けるな! わが三世にわたる友よ、断じて勝ちゆけ!
皆が心で祈り送った。
私は、妻と共に、神奈川文化会館の窓から、同志の無事を、同志の栄光を祈りながら、
懐中電灯を幾度も振って見送った。
妻は、「遠いところ、ご苦労さま」と、小さい声だけれども、しっかりした声で言ってい
た。その目には、きらっと涙が光っていた。
到着から再び船上の人となるまで約七時間――だが、それが、創価の広宣流布の未来を
切り開きゆく、凝結した誓いの時間となったのである。

(2003年10月15日付「随筆 新・人間革命」348「広宣流布の勝利の大船」から抜粋)