投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月11日(水)09時26分38秒  

池田先生は「二十一世紀の創価学会」の未来を担う指導者を育成するために、
一九六四(昭和三十九)年六月の男子部幹部会において、
青年部に、新たに「高等部」「中等部」の組織を設置することを発表します。

そして、一九六五(昭和四十)年一月十五日、高等部・中等部の全国各地で部員会がもたれ、
中等部はこの日が結成の日となりました。

この当時のことが、小説「新・人間革命(鳳雛)」第九巻に描かれています。
これを最後に見ていきたいと思います。

先生はその鳳雛たちに、自身の本門の活動の決意を披歴してこう語りました。

「師匠と弟子というのは、『針』と『糸』の関係にあります。師匠が『針』、弟子は『糸』です。
針は着物を縫う時、先頭を切っていきますが、最後は不要になり、
後に残った糸に価値がある。私は針です。

最後に広宣流布の檜舞台に立つのは皆さんです。
諸君のために、完璧な布石をしていくことが、
私の本門のなかの本門の活動であると決意しております」――と。

そして、ベトナムと韓国の、二人の青年革命家(殉教者)の姿を紹介し

「もちろん、私は皆さん方には、そんな苦しい戦いは絶対にさせません。
体を張って守り、苦労は全部、私が引き受けていくつもりでおります。

ただし、広宣流有の決意という面では、殉難の覚悟が必要です。
遊び半分では、尊き世界の平和を築くことも、不滅の民衆の時代を開くこともできない。

広宣流布の活動というのは、権力の魔性との厳しき戦いであり、
人生をかけた、断じて負けられぬ、真剣勝負の戦いであることを、
申し上げておきたい」と結びました。

その後、池田先生は、高等部長に御書講義を開始する旨を伝えてこう語ります。

「高等部員の大多数は、いわゆる『学会二世』で、親が先に入会し、いつの間にか、
自分も信心をするようになっていたというメンバーであった。

したがって、信心で生活苦や病苦を乗り越えたといった、
自分自身の体験をもっている人は少なかった。

そうした世代が、仏法への確信を深めていくには、教学を身につけることだ。
教学という理は、信を生み、高められた信は、さらに仏法への理解を深めていくからである」

と、高等部員の本格的な成長を図るために、池田先生は御書講義を行う決意をしたのです。