2015年2月11日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月11日(水)09時23分7秒 釈尊はヴァッジ族のあり方を語り、大臣が釈尊の真意を了解して去ったあと、 阿難に命じて王舎城にいたすべての修行僧を集め、 ヴァッジ族の七つの長所を参考に教団の運営方法について 「合議制」の訓示が記録に残っています。 要するに、釈尊が言いたかったのは入滅後の教団運営は「合議制」で運営しろということです。 この仏教の歴史を見て思うことは、仏弟子(地涌の菩薩)の「勝負観」とは、 どうあるべきなのかということです。 現代社会は三千年前と違い、あらゆるものが専門化され、 記録・情報手段・変化・移動・意志疎通等のスピード感が格段にちがう時代です。 釈尊滅後、百年の時間をかけて根本分裂が興っていますが、 今ならそういう状況になった場合、良くも悪くも物事の進展はもっと早いでしょう。 日興上人の時代において、五老僧の師敵対に対する闘争は、 熾烈を極めた命懸けの戦いだったことが想像できます。 五老僧は、師匠の珠玉の指導をすき返しにしたり、 かな文字で書かれた御書を「師匠の恥辱」であると言って火に入れました。 日興上人は日蓮大聖人が入滅した後、師の正義を護るために、 半世紀(五十年)もの間、生きて生きて生き抜いて、師匠の正義を証明され、 五老僧に打ち勝って「五老僧の大罪」の詳細な記録を、後世の弟子に残しました。 これが日興上人の「勝負観」だったと思います。 なぜそれが七百年後の弟子が理解できるのかというと、 日興上人は勝者だからです。 五老僧との闘争に勝利したからです。 熱原法難期、熱原の地の総指揮官は弟子の日興上人でした。 師匠は、弟子に厳命します。 「伯耆房(日興)よ、戦いに勝つ要諦は異体同心の団結だ(趣旨)」(一四六三頁)――と。 そして、悪は多くとも「悪」が「一善」に勝つことは絶対にできないと訴え、 その道理と方程式を中国古書「史記」を通して教えます。 そしてその結論は「長の一念」で勝負は決まるということでした。 「殷の紂王は、七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。 周の武王は、八百人なれども異体同心なればかちぬ」(同頁)とあります。 なぜ殷の紂王は「同体異心」で団結できずに戦いに負けたのか。 なぜ周の武王は「異体同心」の団結ができて勝利したのか――。 Tweet