投稿者:カンピース 投稿日:2017年 2月10日(金)18時02分42秒   通報
>「七つの鐘」が鳴り終える今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の朝の到来であると、彼は感じていた<
(新・人間革命、大山三十四より引用)

>一九七九年、すなわち昭和五十四年の五月三日、間もなく、創価大学の体育館で”七つの鐘”の総仕上げを記念する第四十回の本部幹部会が行われることになっていた。
本来ならば、その日は、私は、偉大なる広宣流布のメッセージを携えて創価の栄光を祝賀する日であった<
(随筆、新・人間革命、80より引用)

皆様方、どちらが本当でしょうか? 大山の章では、いかにも辞任は先生の意思であり、弟子に後継を託すかのように描かれています。

「七つの鐘」が鳴り終わる今こそが、辞任する絶好のタイミングのごとくですが、「随筆、新・人間革命」を読むと真っ赤なウソと分かります。

「偉大なる広宣流布のメッセージを携えて」とあるように、七つの鐘が鳴り終わろうとも、将来にわたっての展望が先生にはあったのです。

そんな先生が、会長を自らの意思で辞任するでしょうか?