投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 2月 2日(木)18時26分45秒   通報
「新・人間革命」の「希望の章」の中に、創価女子学園が開学3年目を迎えた時に
、ある高校の受験生がいました。丁度学園の通学路に面した家の子供さん、一家
は学会員ではないけれども、女子学園の生徒達が、毎朝、毎夕行き交う人々や、
農作業に励む人々まで爽やかに笑顔で挨拶を交わしている。

「学園が出来てから、この町に花が咲いた様だ」と、地域の人々から言われ始め
ていた。こうした思いを抱いて、この一家が学園に関心を抱いたようだ。特に母
親は、自分の子供をああいう子供に育てたいと思うようになる。そして、中学3
年生になる自分の娘に、この創価女子学園を受験させる。人間革命では、「面
接の日、母は娘に創立者の名前を教え、覚えるように言った。面接で尋ねられ
るかもしれないと思ったのだ。面接は、保護者も一緒であった。

母親の勘は的中し、担任の教師から、『創立者の名前はご存知ですね』と聞かれ
た。娘は大きな声で答えた。『はい、山本伸介』。隣にいた母親が彼女の脇をつ
ついて、『違うがな、伸一さんや、伸一さんやで』と小声で教える。『あのー、
伸一さんです』元気に言い直したがここまでで、これで落ちたと彼女は思った。
しかし、結果は合格であった」。小説ではここまでで、この方がその後どうなっ
たかは触れていません。

〔その後の話〕

このお子さん、入学をした後、周囲が全て学会員である事を知って、大変衝撃を
覚えたそうです。しかし、信心していないからダメだと言われたくない、こうい
う思いで勉強にしっかり頑張る。その中で、池田先生は毎月のように学園に来ら
れる。彼女は、先生の話を直接聞くようになる。ある日、母にその感想を話した
そうです。「池田先生と言うのは、戦争はダメとか、平和を築くとか言ってるけ
れども、当たり前の事やんか」と。そうすると母親は言下に娘に、「その当たり

前の事が出来へんのが人間なんや。池田先生はそれをやろうとしてるんや」彼女
もそうなんだと思えるようになり、これまで誰も出来へん事を池田先生は本気に
なってやろうとてるしているんだ。そう思うと、だんだん先生が好きになってい
く、先生のすごさが何となく分かるようになってきたそうです。そして決定的だ
ったのが、入学して1年が過ぎようとした時、昭和51年1月に、先生が学園に来
られて、カルタ大会が開かれました。

彼女も頑張って、百人一首をどんどん取っていく。その時に、隣にいたのが池田
先生です。「すごいね!早いね!」と言いながら、たばこの袋を出して、「今、
私はたばこを吸えないんだ。吸いたいけれど吸えないのだよ。奥さんにも吸えな
い様に祈られているんだ」。こう言うのです。彼女は信心していないものだから、
それを聞いて、「へえー、信心って凄いんだ。たばこを吸えなくする力があるん
だ」と、こう思って感動したそうです。

この時、側にいた生徒達が彼女を指差して、「この子はピアノも弾けるんです」
と先生に紹介すると、先生は、「そうか、凄いね。じゃあ、後で何か弾いてよ、
頼むよ」と、激励。そしてその後、寮生の会食会で、彼女はピアノを弾く。「リ
ストの作曲のため息」と言う曲を弾いたそうです。先生は、彼女が弾き終ると、
手を頭の上に上げて、大拍手を送り続けたそうです。

そして、彼女の隣に座り、「じゃあ、一緒に弾こうよ」と言って、同志の歌を弾
かれたそうです。彼女は勿論知らない曲です。しかし、すぐ覚えて、途中から先
生と一緒に演奏し出した。先生は、「天才だね、もう弾けるの。これは私達の歌
だよ」こう言われて、彼女に何度も何度も「ありがとう,凄いね」と言って励ま
され,「お父さん、お母さんによろしくね」と言って、送り出す。その日、彼女
は家に帰って、その事を母親に話す。信心していないお母さんですけれども、
ぼろぼろと涙を流して聞いてくれていたそうです。

そして、娘さんに、「創立者とあろう方が、1人の生徒の為にそこまでしてくれ
るなんて、こんな事は無い。そこまでしていただいたからには、私達も学会に入ら
ない訳にはいかないね」そう言って、この年の3月に母と娘で入会する。勿論、学
園は、今までも学校で折伏したという事は一度もありません。ただし、彼女達は
喜びと感謝で入会を希望した。先生はその報告を聞くと、「良かった、良かった」
と言って、手を取って喜んで下さった。

入会した母は、嬉々として学会活動に励んでいったそうです。聖教新聞を読んでは
、「私の思っている事と同じや。この通りや」と言って、本当に喜び勇んで折伏に
歩いたそうです。しかし、そのお母さんが入会して1年後に病に倒れる。母親は
病院に入っても、「広宣流布の為に頑張るんや」こう言って、見舞いに来る人に
仏法対話を重ねたそうです。そして、娘さんに、「しっかり見ときや、お母さん
に悔いは無いよ」こう言って、娘に自分の姿を教えつつ、間もなく息を引き取った
そうです。

先生はそれを聞かれて、彼女を激励します。この母親の誕生日には、「これはお母
さんからだよ」と言って、彼女にプレゼントを下さった。その際、彼女は、「自分
は生涯、先生の弟子として生きよう。先生の弟子として、先生の創価教育を実践出
来る自分になりたい」と決意する。そして、父親を説得して、創価大学に進みまし
た。ある時、同窓会で、先生が中国の駐日大使を連れて来られました。その話の中
で、「将来、中国に行く人」と、呼びかけられる。

彼女は真っ先に手を挙げてしまったそうです。その後結婚をされ、信心を本当に
頑張り、神奈川の川崎・高津区で区婦人部長をし、現在は何と、夫と共に上海に
渡って、一生懸命中国で活躍しているとの事です。

まさに、彼女が述懐していたのは、「一人一人を思う先生の真心、先生の心は、
人間の心を一生幸福にせずにおくものか、という励ましであった。まさにこれが
、関西の学園で自分の一生を変えたと思います」。そう彼女は言っていました。
この新・人間革命17巻には、その創価教育の精神・弟子の精神が描かれています。