投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 1月27日(金)12時50分27秒   通報
第一次宗門問題(昭和54年問題)が顕在化し始めたのが、昭和52年頃からですが、
その前年の昭和51年12月の暮れに、池田先生は宗門との懇談会でこのように宣言された。

■昭和51年
12.27 宗門との懇談会(光亭)

学会側(北条・秋谷・和泉・辻)
宗門側(早瀬総監・鎌倉・漆畑・早瀬義寛・大村・高野永済)

池田先生<今後の学会の基本路線を確認する>

①牧口先生の登山止めの件は宗門はあやまるべきだ。
②我々は御本尊を拝んでいる。そのご本尊をおしたためになるのは猊下である。
③戦艦と航空母艦のようなもので、我々は本山を守ります。
④従属はしません。しかし、従属しない事は離れる事ではない。
⑤若い僧侶に学会を大事にしなさいと云えばいい。
⑥66カ寺はまだまだ少ないと猊下に申し上げた。これから全世界に何千何百の寺院を作るのだ。
⑦これから悪いのは坊主と言おう。
⑧寺院は御授戒と儀式、学会は折伏の団体、宣言しておきます。

■昭和52年
1.1 元旦勤行会、先生「寺院は儀式の場、学会は広宣流布の団体」
1.2 初登山・お目通り。猊下招待の夕食会
1.13 阿部(のちの日顕)が本部に → 北条、富士学報を持参
   (先日の御書改訂メンバーの菅野がこのようなことを書いて・・・・内々にという事で)

池田先生、阿部と藤本と面談(第二青葉、和泉・福島・弁護士同席)

①富士学報の件「猊下は関与していませんね」
②これから宗門・学会、出版物の交換を約束

先生「うしろから鉄砲うたれたのでは安心できない。
   お二人で若い僧侶を指導して下さい。
   我々は血脈を認めているから御本尊を拝んでいる。
   会館に山号をつけます。
   あさって、寺院の発生というものは何か、仏教史の上から話します」

阿部・藤本「どうぞ、先生の御境涯におまかせします」

★1.15 教学部大会(関西戸田講堂) 池田先生「仏教史観を語る」
    (在家も供養を受けられる。会館は近代的寺院)

1.16 伸一会(関西戸田講堂) 妙観講に対する宣戦布告的な話
   北条(中大阪文化会館)山田・白木等に宗内状況の説明

1.19 全国県長研修(白浜関西総合研修道場) 10項目の決議、その中に「授戒は寺院、指導は学会の伝統で」

1.20 第一回広布会全国集会(白浜関西総合研修道場)

   ※菅野が詫び状持参で本部にくる(阿部同行)、原田・野崎で応接する。
    菅野に謝る気がなく、詫び状をその場で返す

1.22 上田京子の話「猊下のところへ直接、極秘で学会の情報を入れるものがいる。
          学会は猊下を辞めさせる相談をしている」等々

1.27 菅野、詫び状を受け取って帰す(PM5:00)、その後、北条・辻 VS 早瀬・阿部・婦人部3人

池田先生より猊下へ伝言
「このままいけば、宗内派閥。一千万の人をひっぱるのは大変。
 混乱の元凶は猊下になる。私のお仕えした猊下を大猊下にしたい」

阿部「明日、本山に行き、猊下に伝えます」

1.28 猊下から北条へ電話
   「阿部より、会長からの伝言聞きました。すべて私の不徳のいたすところ。
    一人はどうしても処分しなければいけない、と思っています」

2.16 御生誕記念勤行会

池田先生「途中の人師・論師が根本ではない。御本尊・御書を根本に」

※参考資料 法務室作成「総合経過年表」より