投稿者:まなこ 投稿日:2017年 1月23日(月)09時36分29秒   通報
◆ 6 地球の汚染を防ぐために

【池田】 環境の汚染と破壊の現状をみますと、大別して、産業廃棄物によるものと、近代都市生活者全体の浪費によるものとの二つがあります。このうち、産業廃棄物によるものについては、原因となっている工場やその廃棄物質がはっきりとらえられるならば、その経路をチェックし、防止することは比較的容易です。ところが、都会生活者の消費生活が引き起こす汚染のほうは、すべての人が何らかの形でその発生に加担しており、汚染物質もきわめて雑多です。
従来は、完備した都市機構が円滑に作動すれば、汚水にしても、種々の汚物にしても、ほぼ完全に処理できるはずでした。ところが文明の進展とともに、もはやそうした機構では処理しきれないものが増えてきております。
産業公害の場合は、加害者は特定の企業であって、市民の大多数は被害者です。したがって、政治的な規制や法律改正、市民運動などによって、その絶滅は比較的に容易だといえましょう。ところが、都市生活にともなう汚染の場合は、市民の大多数が加害者であるとともに被害者でもあるところに、大きな問題があると思うのです。

【トインビー】 環境汚染には、おっしゃる通り、一つには産業廃棄物と、もう一つには近代都市生活者全体による個人的な無駄の多い消費との二つの原因があります。またこれらを阻止するについては、後者のほうが、前者よりもはるかに困難であるということについても、その通りだと思います。
たしかに、産業廃棄物を出しているのは、汚染源としてはっきり確認できる限られた数の営利企業ですから、法律によって効果的に規制できるでしょう。これに対して、個人の消費への規制は、数えきれないほどの人々がそれぞれ自発的にこれを行なっていく以外にありません。通例、倹約令といったものは、工場規制法などと違って、効果のないことがはっきりしています。しかしまた、消費を規制する自発的行為といったものについても、それが宗教によって啓発されたものでないかぎり、効果がなさそうです。

【池田】 まことに複雑な、むずかしい問題であり、結局はそういうことになると思います。その前提として、市民は他を責めるのではなく、自分自身の暮らし方を改めなければならないでしょう。市民であるわれわれ一人一人が、自分の生活を振り返ってみて、加害者としての自分の側面をできるだけなくすように努力する必要があるわけです。
たとえば、モータリゼーションの問題にしても、企業は毎年のようにモデルチェンジをして、新しい車を買うように宣伝しています。新しいスマートな車に乗らなければ現代人として失格であるとでもいった、巧みな働きかけです。また、電気製品や日常品にしても、使い捨ての効用を盛んに宣伝しています。
このような宣伝、情報に受動的に動かされて、主体的に選択することなく、自分の物質的欲望のままに生きていけば、結局は、自己と人類の滅亡にたどりつく以外にありません。われわれは、自分たちの日常的な行為が積もりつもって、人類の子孫の生存権を奪っていることを、深刻な事実として銘記しなければなりません。この点の認識を深めることによって、初めて、人間は現代社会における自らの生き方を主体的に確立することができると思うのです。

【トインビー】 かつて人類が一様に貧困であった時代、われわれの祖先は、衣食住その他の生活必需品の不足によって、絶えず生存を脅かされていました。こうした状況のもとでは質素が美徳であり、贅沢は悪徳であるとみなされていました。
しかし、産業革命以後というもの、質素倹約は、生産者には製品をさばく市場の不足という脅威を与え、またその結果、被雇用者には失業という脅威をもたらすようになりました。したがって、消費者側の倹約は、生産者とその被雇用者の側からみれば、美徳ではなく、悪徳となったのです。生産者は、いきおい、広告宣伝という人為的な手段によって消費に刺激を与えようとしました。広告宣伝業が産業革命と同時に出現してきたのは、必ずしも偶然ではありません。
しかしながら、こうして消費を刺激することによって得た一部の生産者とその被雇用者側の利得は、御指摘のように、社会全般の利益に反するものです。すでに、宣伝によって貪欲性が刺激されたことから、全面的な汚染が発生しており、これが現代人の健康にも、またその生命自体にも、脅威を与えています。現代人の貪欲さはまた、かけがえのない資源を消費し尽くして、未来の世代から生存権を奪おうとしています。
しかも、貪欲は、それ自体一つの悪です。貪欲は人間性の内にある動物的な側面です。しかし、人間は、動物であるとともに動物以上の存在でもあり、貪欲に溺れていたのでは人間としての尊厳性を失ってしまいます。したがって、人類が汚染を克服してなお存続しようとするなら、われわれは貪欲性を刺激しないことはもちろん、逆に貪欲を抑制しなければなりません。また仮に、貪欲によって現代人が汚染され、子孫が窮乏に追いやられるという、物質面での破滅的な結果が生じないとしても、これは変えてはならない原則です。
産業革命以来、生産者は、宣伝によって大衆を操作し、欲望を最大限に充足させることを、他のすべての目的に優先させようとしてきました。われわれは、いまこそ、この優先順位を逆転させ、貪欲の抑制と倹約の励行を第一としなければなりません。
これには少なくとも三つの根拠があります。すなわち、人間の尊厳を保つこと、現代人を汚染の危険から守ること、地球の限られた天然資源を未来の世代のために保存することです。われわれは、広告産業によって巧みに吹き込まれた理想を捨て去り、それに代わるものとして、仏教やキリスト教の修道院生活のなかに示されている理想を取り入れる必要があります。