投稿者:ひかり 投稿日:2017年 1月23日(月)01時37分10秒   通報
真実を嗅ぎ取るためのトップスキルは、何と言っても「違和感」だといいます。

「何か腑に落ちない」「なんとなく引っかかる」

自分の中でアラームが鳴ったら放置しないことだといいます。

そこで、今、私が最も違和感まみれの「アクセンチュア」について、考えた事を述べます。

なぜ、アクセンチュアなんぞに、「法外な」報酬を払ってでも、組織をコントロールしようと

するのか。

その理由の核心は、「自分の頭で考え自分の意思を持つ会員をダマせないから」

じゃないでしょうか?

今のままでは、会内上層に一部富裕層を作り出し、吸血企業みたいなのが儲かるという

歪んだシステムが、存続しつづけるわけです。

相当あると言われる蓄財を抜きに考えた場合でも、今後のこのシステム存続のために、

アクセンチュアの知恵が必要になったと、考えざるを得ないんですね、さすがに。

ま、これは常識的な思考の範囲だと思っています。

執行部ったって、人間の世界ですものね。

権力持ちカネを持ったらば、あらまあ、やること日顕宗なみだった。

しかし、宗教団体が「なぜ」外部コンサルを必要とするのか、イヤハヤなんですけど。

そんなに会員をダマし続けられるものでしょうか?

私の周囲だけでも、かなりの人が変だって言ってますよ。組織。聖教新聞。公明党。

「自立した信心の時代が来た」という人が実に多い。

あまりにも選挙支援活動等が先になり、自分の生活が後回しになる事に、警戒していますね。

まず、自分の足で立ち止まって、考えなきゃと。

そのきっかけになることが、これだけ増えたらねえ。。。

当然ですよ。 まるで永遠の多部数に、永遠の選挙でしょ。

しょっちゅう「功徳功徳」と煽り、善意に乗っかり利用しようとするんですから、無理もない。

何だって、程度の問題です。

行きすぎた義務感がプレッシャーになり、ストレスになり、それを持ちこたえていても、

頭に来る事を幹部に言われたり、強制されたりするうちに、じゃあもういいや、となるんです。

気づいた者が、粘り強く、自分の周囲から良くしていこうとすることが大事だと思います。

あきらめないこと。

決して悪を許さないこと。

題目を上げ抜くこと。