投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月29日(月)16時48分47秒 返信・引用

本来、学会を「波木井」などとそしるのは、破折するまでもない妄論である。
《清流》を守った人を、《濁流》をつくった人のように誹謗するのは、悩乱か、あるいは策謀でしかない。
じつは、この《すりかえ》《転倒》は、古今の独裁権力の手口なのである。

たとえば、ソ連のスターリン。
彼の粛清の犠牲者は、数えきれないほどであり、数千万とさえいわれている。
少なくとも何百万という人々が《でっちあげ》の罪で、投獄され拷問され処刑された。
私の親友である、作家のアイトマートフ氏の父親も、またナターリヤ・サーツ女史(モスクワ児童音楽劇場総裁)のご主人も、その犠牲となっている。

ソ連人が同じソ連人を殺す。
共産党員が同じ共産党員を弾圧する。
権力保持のために、自分(スターリン)を信じている国民に、残虐な苦しみを平気で与える。
史上にもまれな、空前の狂気であった。

くわしいことは略すが、スターリンの手口の特徴は、真実と正反対の《レッテル》を相手に張りつけることにあった。
「当時、大量弾圧はトロツキスト(=文献上は反レーニン主義者の意味)との闘争というスローガンのもとに行われておりました」

「レーニンの教えを壊す」やつらだから、殺せというのである。
仏法でいえば、一方的に「謗法だ」「波木井だ」などと決めつけ、処分するやり方と同様であろう。
いったん、こういう《レッテル》を張られたら、何の裁判もなく処分。
事実など、どうでもよかった。

「スターリンは今や自分は一人ですべてのことを決定できると考えるようになったのです。そしてまだ彼に必要な人間がいたとすれば、それは彼の言いなりになる人物だけでした。その他の人々に対しては、彼は、ただ服従し、彼を褒め称えていればよいというように振舞ったのであります」

まさに「権力の魔性」である。仏法でいえば「天魔」が入ってしまった。

この独裁者は、じつは人間的にはレーニンと正反対の男であった。
「彼は説得と教育というレーニンの方法を棄て去った」
「行政的強制、大量弾圧、テロル(=暴力)の方法を用いた」
いったん、だれかを「反レーニン」と決めつけると、相手がそれを認めるまで、いじめぬいた。
彼のモットーは「殴れ、殴れ、もっと殴れ」であった。
手下に、この《方法》を指示して、国民を拷問させ、処分させた。

これでもか、これならどうだと圧迫を強め続ければ、いつか音をあげる、泣きついてくると考えるのが、権力者の常である。
これほどの人間蔑視、民衆蔑視はない。
悪魔のごとき傲慢である。

こうして、多くの革命の大功労者が、処分されていった。
国土は生き地獄となった。
ある功労者は悲痛な思いで書いた。
「私はいつも政府のために闘ってきた。その政府の牢獄に閉じこめられること以上に大きな不幸はない」
「私はこれからの犯罪のうちどれ一つとして犯してはいないのです。私の心の中には疚しさは微塵もありません」
「私の事件は最初から最後まで、挑発、中傷の典型的な見本であり、革命的法秩序の土台を破壊する典型的な例であります。」

今も、まったく同様の構図である。
こうして、輝かしき革命の理想は、根っこが破壊されてしまった。
《スターリンの残党》の愚かさ、こっけいさは、今回のクーデターでも世界に示されてしまったが、スターリンは「反レーニン」を正すとの大義名分を掲げた狂気の「自国民狩り」によって、自分がレーニンをいちばん裏切り、革命を大失敗させたのである。

いわんや共産主義革命と仏法では、まったく次元が異なる。
「波木井」等との決めつけによって、「広宣流布」を水泡に帰させることは、絶対にあってはならない。
残念なことであるが、戦う以外にない。

【アメリカSGI第一回総会 平成三年九月二十九日(大作全集七十八巻)】