投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月19日(木)05時00分43秒   通報

No.1

2010-1-1

共々に偉大な「人間革命」の一年を!「大願」は広宣流布!さあ前進だ

元日や師弟の道は晴ればれと

学会創立80周年の青空に、栄光の旭日が昇った!元朝の光に照らされ、彼方には
、白雪の富士が王者の如く輝きわたる。民衆詩人ホイットマンの力強い歌が聞こ
えてくる。「徒歩で、陽気に、わたしは大道を歩き出す」「さあ、出発しよう!
君が誰であろうと来てわたしと一緒に旅をするのだ!」歩いた分、前進できる。
進んだ分、道が広がる。学会は永遠に前進する。世界に、幸福と平和と勝利の大
道を広げていくのだ!

「新春の御慶賀自他幸甚幸甚」(御書1002頁)日蓮大聖人は、ある年の正月、身
延の地で、門下への御手紙に記された。新春を明るく寿ぎ、自他共に喜び勇んで
、張り切って出発する。この御文通りの姿が、創価の新年勤行会である。御聖訓
は、さらに続いて、「そもそも、俗諦(世間の道理)の中においても、真諦(究
極の真理)の中においても、勝負をもって要《かなめ》とする」(通解)と仰せ
である。世開法はもちろんのこと、仏法においても、その肝要は「勝負」にある
。仏法も、人生も勝負だ。一日一日が勝負であり一年一年が勝負である。断じて
勝たねばならない。断固として勝ち抜くことだ。必ず勝つための信心である。創
立80周年──この1年の勝負も、我らは「法華経の兵法」で勝つのだ。

「八十」といえば、仏法では、仏・菩薩は「八十種好」という優れた相好《そう
ごう》を持つと説かれる。大聖人は、この荘厳な姿とは、凡夫の肉身なりと洞察
された。「父母果縛《かばく》の肉身の外に別に三十二相・八十種好の相好之れ

無し即身成仏是なり」(同814㌻)と仰せの通り、本有の我が生命が即、仏の尊極
の威光を具える。これが、日蓮仏法の極意である。この本義に立てば、八十種好
とは、広宣流布に戦う皆様方の生命の輝きにほかならない。たとえば、八十種好
の姿として「身は潤沢なり」「一切の悪心ある衆生も見る者は和悦《わえつ》す
」とある。これは、無作の高貴な姿で、あらゆる人びとを味方に糾合しゆく、創

価の太陽・婦人部の形容とも拝される。「光、身を照らして行く」は、わが地域
・社会を厳然と照らして闊歩する「黄金柱」の壮年部であろうか。「身は浄潔な
り」とは、法華経の「如蓮華在水」の経文の如く、濁世のいかなる悪にも染まら
ず、“華陽”の花を咲かせゆく清新の女子部である。「牙は利《するど》し」は
、破邪顕正の言論の牙を鋭く磨いた男子部・学生部の若き師子の象徴といえよう

か。ともあれ、妙法を唱え、広宣流布に励みゆく汝自身の生命が、どれほど尊貴
であるか。まだまだ出し切れていない仏の力がある。もっともっと発揮できる仏
の智慧がある。我らの創立80周年は、一人ひとりが、本有の仏の生命を思う存分
に開きゆく年である。なんの遠慮もいらない。自らの八十種好の人格の光彩を、
生き生きと輝かせ切っていくのだ。

初日の出若き心に黎明を

50年前(昭和35年)の元朝、小さな小きな我が家で、家族そろって勤行をしなが
ら、私は妻と共に、新たな一年の勝利を深く誓った。全学会員の「いよいよの信
心」と「幸福」と「躍進」を懸命に祈った。全日本、全世界に大地震等がないよ
う、平和と安寧を祈りに祈った。一切は「誓願の祈り」から始まる。その元初の

祈りを、一日一日と、自分の行動に血脈として通わせていくのだ。日蓮仏法は「
因果一念」である。生命の奥底に固く決定した一念自体が、すでに「勝利」であ
り「完勝」なのだ。この昭和35年の聖教新聞の新年号に、私は「年頭のことは」
を寄せた。“本年12月31日の勤行の際、一人ひとりが御本尊に、かく向上し、成
長し一年の修行でありたい”と。この年の5月3日に、戸田城聖先生の不二の直弟
子として、私は第3代会長に就任した。そして新たな世界広宣流布の道を開き、

勝って迎えた年末、師匠への報恩感謝を胸に、ご報告申し上げた。「会長就任の
年を完勝しました!明年もさらに飛躍してまいります!」あれから半世紀──今
、猛然と若き弟子たちが立ち上がってくれている。「戸田先生!わが創価の後継
の陣列は、創立80周年を美事な完勝で飾りました。広宣流布の未来は盤石です!
」私は、会長就任50周年の年の最後に、こう晴れ晴れと、ご報告申し上げる決心
である。

昭和40年の元日付の聖教新聞から、私は平和への決意を込め、小説『人間革命』
の連載を開始した。おかげさまで、この正月で45周年となった。読者の皆様の温
かなご支援に心から感謝申し上げたい。現在の『新・人間革命』まで変わらぬ主
題は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成
し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」である。思えば、恩師・戸
田先生は新春を迎えるたび、「今年こそ、今年こそ」と、新たな山に挑んでいか
れた。一年一年が、偉大なる人間革命の勝利の劇であられた。私も一段と深く、

「今年こそ!」と心に期している。それでこそ、日蓮大聖人が「今まで生きて有
りつるは此の事にあはん為なりけり」(御書1451頁)と教えられた覚悟に、連な
っていけるからだ。「師弟不二」とは、師匠の大境涯を仰ぎつつ、「月月・日日
に」(同1190頁)自分自身を人間革命することだ。弟子の「人間革命」によって
、地域・社会をも動かし、人類の幸福と平和に寄与していけるのだ。イギリスの
詩人ポウプは、「個々が強力となることが、全体にとって必要であり、個々が幸

福であるに応じて、全体もまた幸福である」と言った。その通りである。「一人
」が強くならねばならない。君自身が強くなり、人生を勝つのだ。他人ではない
。自分がどうかである。ゆえに私は、わが同志《どうし》に、「この一年、汝自
身の偉大な『人間革命』の歴史を!」と強く祈り、叫びたい。

偉大な「人間革命」を成し遂げる要件は、何か。それは、第1に「師弟」の原点
に立つことだ。「師匠は大地の如し」(御書900頁)だ。小さな種が、天にも届く
大樹へと革命的に成長する。それは、原点の大地にしっかりと根ざすからこそだ
。第2に、勇気に燃えて「大願」を起こすことである。蓮祖は「願くは我が弟子
等・大願ををこせ」(同1561頁)と仰せだ。どんなに現実が厳しくとも、負けじ
魂を燃やして、大きく祈るのだ。広宣流布の「大願」に立つのだ。その勇気が、

小さな自分の殻を必ず破る。そして第3に、たゆみなき執念の「前進」だ。御文
には「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192頁)とある。いよいよ「師
子王の心」を取り出して、惰性と戦い、諦めと戦い、三障四魔を一つ一つ打ち破
っていくのだ。“常勝関西”の功労深き90歳のお母様からいただいたお手紙を、
妻は大切にしている。そこには、こう綴られていた。──地域で出会う方々から

「お元気ですね」と驚かれるたびに、申し上げています。「私は、信心のおかげ
で元気です。学会には師弟があります。ですから向上できます。若い青年部、女
子部がおり、みな私の友だちです。世界にも、多くの学会員がおります。世界中
の方々の体験を聞かせてもらえるので、年をとっても、私の心は青春です」そう
会う人ごとに語りながら、楽しく仏縁を広げております──と。創価の母は、あ
まりにも気高い。この母たちが最高の笑顔で喜んでくださる「常勝」の花の冠を
、我らは捧げたい。

堂々と青春乱舞の勝利道

あの源義経が歴史の表舞台に登場したのは830年前(1180年)。義経は22歳であっ
た。彼の名将たる所以は、人が不可能と諦めた“先入観の壁”を打ち破る勇気と
妙策、そして一歩も退かずに攻め抜く“超攻撃型”の戦い方であったと言われる
。今、私には、妙法の名将の後継たる、男子部・学生部がいる!世界に友情を広
げゆく“華陽”の乙女たちがいる!わが師・戸田先生が生誕された110年前、自由

を求める乙女が毅然と叫んだ。「闘わないで、どうして打ち勝てるというのでし
ょう。求めずしてどうして得られるというのでしょう」──インドネシアの女性
解放の先駆者カルティニの言葉だ。彼女は、どんな苦難でも乗り越える力を持っ
ていると胸を張った。若き友よ、乙女たちよ!君たちの時代だ。躍り上がる勢い
で、自身の偉大な闘争を開始するのだ!◇この1月が生誕150周年となる、ロシア

の作家チェーホフは呼びかけた。「進め!ほらあの遠くに輝く明るい星をめざし
てまっしぐらに進むんだ!」完勝の一番星は青年だ。大文豪ゲーテは、「若い人
を私は欲しい」と語り、弟子たちに英雄ナポレオンの金言を示した。「人材に道
をひらけ!」と。私も、心から訴えたい。「青年に道を開け!」そして、「青年
よ、勝利の大道を開きゆけ!」と。我らの威風堂々の前進とともに、無限に道は
広がっていくのだ。創価完勝の広宣流布の大道が!進もう、わが同志《どうし》
よ!断じて勝とう!わが愛する弟子たちよ!

元旦に勝利勝利の道開け

ホイットマンの言葉は『詩集草の葉』富田砕花訳(第三文明社)。ポウプは『人
間論』上田勤訳(岩波書店)=現代表記に改めた。カルティニは『暗黒を越えて
』牛江清名訳(日新書院)=同。チェーホフは『チェーホフ全集11』所収「桜の
園」松下裕訳(筑摩書房)。ゲーテはエッカーマン著『ゲーテとの対話』山下肇
訳(岩波書店)。