投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月16日(月)18時30分35秒   通報 編集済

10.03.12

学光34、35、36に登場した、生後5ヶ月の子どもを背負って、創
価大学通信教育の夏期スクーリングに参加していた女性がいる。兵庫県
の加藤節子さん。「新・人間革命」の中では「古藤節美」という名前にな
っている。婦人部副本部長。ご主人も、壮年部副本部長。ご主人の勤務
先は市役所で、みずから休暇をとり、家で長男の面倒をみてくれたとい
う。背負われていた、当時、生後5ヶ月の次男は長じて京都大学の大学
院まで進み博士号を取得。現在、鳥取大学で「准教授」をしている。“

生命哲学”が専門で、米国の科学雑誌「サイエンス・アメリカン」に研
究論文が掲載され、世界でも有望視される一人になった。また地元の組
織では牙城会のメンバーとして、会館警備の任務にも着任している、学
会でも、将来に有望視されている青年となった。まさに母親に背負われ
、親の背中を見て立派に成長した感動のドラマである。

【参考】「新・人間革命」の記載から

『学光34』スクーリング参加者のなかで、生後五カ月の子どもを背負
い、授業に出席していた女性がいた。兵庫の古藤節美である。背負って
いる子は次男で、家では夫が休暇を取り、長男の面倒をみてくれていた。
次男も家に置いてくるべきであったが、母乳しか飲まないために、連れ
て来ざるをえなかったのだ。大学側は、古藤から事前に相談を受けてい

た。本来、子どもを連れての受講は控えてもらうべきだが、初めてのケ
ースであり、特例として参加を認めたのである。古藤は、子どもが泣き
だして、皆に迷惑をかけはしないかと、気が気でなかった。それでも、
一言も聞き漏らすまいと、講義に必死に耳を傾け、ノートにペンを走ら
せた。

『学光35』古藤節美は、一年前の、最初の夏期スクーリングにも参加
していた。その時は、出発直前に一歳八カ月の長男が、麻疹にかかり、
高熱を出した。彼女は、子どもを夫に託し、後ろ髪を引かれる思いで、
夜行列車に飛び乗った。この時、次男を身ごもっていた。スクーリング

は、講義も寮生活も楽しかった。でも、来年、子どもが二人になったら
、参加は無理だろうと思うと、一抹の寂しさを感じた。そんな気持ちで
講義を受けていた時、創立者の山本伸一が授業を見に来て、皆に、こう
呼びかけたのだ。「大変でしょうが、来年も、再来年も、毎年、必ずい
らっしゃい」その言葉に勇気がわいた。“無理だとあきらめる前に、挑
戦しよう!必ず、来年もこよう”と心に誓った。そして、二年目の、こ
の夏期スクーリングには、大学の許可を得て、朝から夕方まで、子ども

をおぶって授業に出席したのだ。スクーリングの初日、創価大学での諸
行事に出席した山本伸一は、子どもを背負って大学構内を歩く古藤の姿
を、車から見た。彼は、すぐに「ご苦労様!」という伝言とともに、同
行の幹部に、御宝前に供えた菓子を届けるように指示した。そして、妻
の峯子に語った。「尊い姿だね。お母さんの学ぼうという姿勢は、必ず
子どもたちにも伝わるものだ。生き方を示すことが、最高の教育になる
」古藤の宿泊場所には、子どもが夜泣きなどしても他の通教生に迷惑に
ならないよう、少し離れた寮の一室が割り当てられた。昼休みに、合宿

所に行き、おしめを洗濯していると、食堂の昼食は完売となり、急いで
パンをほおばる日が続いた。スクーリング期間中は、ほとんど毎日のよ
うに、雨が降り続いた。子どもを背負い、傘を差し、荷物を抱えて構内
を移動するのは、辛かった。帰ろうかと弱気にもなったが、伸一の励ま
しを思い起こして、頑張り抜いた。

『学光36』第三回となる一九七八年(昭和五十三年)の夏期スクーリ
ングには、古藤節美は二人の子どもを夫に預けて参加した。彼女は、三
人目の子どもを宿していた。その翌年の夏には、三人の子どもを夫に頼
んで、スクーリングに参加した。そして、“毎年、必ず行きます”とい
う山本伸一との心の約束を果たし、通信教育を四年間で卒業したのであ
る。