投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2017年 1月13日(金)18時27分57秒   通報
『小説・人間革命』第11巻 「波瀾」より

戸田城聖は、この着実な発展を阻害するものが、外部からではなく、実は内部にあるということを戒めとし、本部幹部会の席上で懇切に説いた。

このころ、会員間の金銭貸借から、人間関係がこじれて、互いに信心を見失い、時に地獄の苦しみに陥るケースが、見かけられたからである。

「世の中は、″金と権力″だといわれる。ですから、貸借問題が起こる。″金を貸してはいけません″とは、絶対、言いません。ただ問題は、創価学会の地区部長とか、班長とかいう地位を使って、金を借りたり、権力を振り回してはいけないと私は言うんです。

『俺は、地区部長だ。俺は、班長だ。金が要るから貸せ』。そんな生意気なことがありますか。学会の地位を使つての金銭の貸借は、断じていかん。

学会の地位を使って、権力を振り回してはいかん。学会の組織を、利用するようなことがあってはならん。創価学会は、信心一途にいくものだと、私は考えるが、どうですか。

私には、権力もありません。創価学会の会長として、皆様に奉ってもらってみても、なにも偉くありません。会長が偉くないというのだから、支部長でも、地区部長でも、同じく偉くないと思うんです」

信心の世界というものは、あくまでも清潔に保たなければ、どのような宗教であれ、たちまち腐敗・堕落する。これが宗教の恐ろしさでもあった。ゆえに、世間的な権力や金力を、宗教の世界で流通させてはならないのである。

戸田は、力を込めて言った。

「事業家は、金を持たなければならない。政治家は、権力を持たなければならない。しかし、学会は信心をもって活動し、運営しなければならないというのが、学会の精神であり、私の精神なのであります。

信心のことなら、戸田と太万打ちしても負けるものかという相手であれば、私も受けましょう。私は何事にも驚かない。金にも、権力にも、驚かぬ。しかし、信心だけは怖い。だが、私は、信心には自信がある。不肖な私だけれども、日蓮大聖人のお使いとして、七百年後の今日におるのであります。

もし、『創価学会なんてインチキだ。デタラメだ』と言う人がいるなら、言わしてやろうではありませんか。どんな結果になるか、見ていてごらんなさい。私は、断じて負けません。三年かからずに結果を見せてあげますよ。

これが信心というものです。金でもなければ、権力でもない。学会の地位を使って、金儲けしたり、権力者のような行動をしたなら、必ず罰を受けるということを、今日は宣言して、私の話を終わります」