投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月 2日(月)21時02分47秒   通報
(聖教2008/6/30)

東西の冷戦を終結させた立役者であるゴルパチョフ元ソ連大統領とは、これま
で9度にわたって語り合った。

初めての会見は、1990年7月27日、モスクワのクレムリン。世界的な作家のア
イトマートフ氏など、各界の識者が同席されたことも、懐かしい思い出だ。

【アイトマートフ氏は今月10日に死去。名誉会長は弔電を送り、心からの哀悼
の意を表した。】

ご存じのように、ゴルバチョフ大統領とは、すでに12年前に、1冊目の対談集
『二十世紀の精神の教訓』を発刊した。世界でも10言語で出版され、幸い、大
きな反響が広がっている。

それに続いて大統領から、「ぜひ、池田会長と新しい対談集を」との要請をい
ただいた。タイトルも、大統領の提案で、『二十一世紀の道を歩みゆくために
(仮称)』として、現在、準備を進めている。

【大統領は、先日もインタビューに答え、情熱を込めて語っている。「池田会
長は、哲学者であり、文学者であり、大組織の指導者であり、教育者であり、
人間主義者です。そして、世界中の多くの人々が信奉する仏教の代表者である
ことを、私は重要視しております。これほどに希有な方は、この世に二人とい
ないと感じております」と】

ゴルバチョフ大統領は、私と共通の友人である、イギリスのサッチャー元首相
との思い出を語ってくださった。【名誉会長とサッチャー首相はこれまで2度
会談している】

それは、大統領が1984年の暮れ、ソ連の代表団の団長として、イギリスを訪れ
、初めてサッチャー首相と会った時のことである。

二人は、会談の前の昼食会で、激しい議論からけんかを始めてしまい、お互い
にそっぽを向いてしまった。〝このままでは、会談は、初めから大失敗となっ
てしまう″――同席者は皆、心配した。その時、聡明なライサ夫人が、かたわ
らで、大統領の心を落ち者かせてくれたという。やはり、女性の存在は大きい
。女性の意見を大切にできない男性に、大事業は成せない。

そこで、大統領は、少し間をおいて、サッチャー首相に、こう語りかけた。

――首相は、信念を持った方ですね。あなたの隣にいる人間(私)も同じです。
しかし私は、あなたを共産党に入党させよ、というような指示は、(ソ連の)政
治局から受けておりません!(どうぞ、ご安心ください)――と。

この当意即妙のユーモアで、サッチャー首相は大笑いし、皆も笑い出した。そ
れで雰囲気が和らぎ、その後、3時間にわたって、核軍縮の問題などをめぐり
、実りある会談を行うことができた、というのである。そしてサッチャー首相
は、大統領のことを「いっしょに仕事ができる」と信頼するに至ったのだ。

私は、ゴルバチョフ大統領と初めての会談の折、開口一番、こう切り出した。
「きょうは、大統領と〝けんか″をしに来ました!火花を散らしながら、何
でも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」

〝けんか″と聞いて、通訳も驚いた(笑い)。しかし、私の思いは、しっかりと
伝わった。

大統領は、「私も率直な対話が好きです」と満面の笑顔で応えてくださった。
さまざまな課題をめぐって、対話がはずんだ。そして、私との会見の席上、ゴ
ルバチョフ大統領は、ソ連の最高指導者として初となる訪日を、翌春に実現す
ると明言したのである(大拍手)。

【名誉会長と会う2日前、大統領は日本の議員団と会見。しかし、交渉は行き
詰まり、大統領は訪日の再考まで口にした。非常に厳しい状況の中で行われた
名誉会長との会見は、各界の注目を集めていた。】

このように私は、一民間人として、世界の指導者とお会いし、誠実に対話を重
ねてきた。

アメリカとの間で緊張が高まっていたキューバを訪れた。ソ連と中国の橋渡し
役にもなった。〝世界が、よりよくなればいい″――ただそれだけを願い、平
和への急所を見つめて、行動してきたつもりである。今、創価の対話は、人類
の希望と輝いているのである(大拍手)。

【ゴルバチョフ大統領は語っている。「池田会長は、民間外交の第一人者です
。それゆえ、私たちも、すぐに信頼関係を築き、心を開いて対話することがで
きました。すぐに、分かりあえることができたのです。池田会長は、開かれた
対話の精神を持たれ、その貢献には、絶大なるものがあります」】