投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月19日(月)19時12分44秒   通報
2011/10/23
【岐阜県大垣市】「声が出なくても、自分には写真という表現方法がありま
す」――喉頭がんのために声帯を摘出した藤中さん(副本部長72)は、電気
喉頭(発声を補助する器具)を喉に当てながら、誇らしげに語る。

幾度も乗り越えた、がんとの闘い。その間、生きる“証し”を刻むように写真
を撮り続けてきた。その軌跡を追う。
●1度目1980年5月胃がん

藤中さんは1980年5月に胃がんの宣告を受けた。当時41歳の働き盛り。入会し
て16年目で、地区部長として広布の第一線を駆けていた。家族や同志に励まさ
れ、「いよいよ宿命転換のチャンス!」と、捉えることができた。

胃を3分の2摘出する手術は成功した。

退院後、定期検診の日以外は日常の生活に戻り、周囲もすっかり元気になった
と見ていた。しかし、藤中さんの心の中では、再発の不安との格闘が続いてい
た。がんが、いつ姿を現すかもしれない。この恐れが、藤中さんの心にまとわ
りついて離れない。

がんへの恐れがつきまとう生活を送っていたそんなとき出あったのが、池田名
誉会長の写真だった。1985年(昭和60年)10月、大垣市で「自然と平和との対
話――池田大作写真展」が開かれた。

大空に向かって一心に伸びる青木。写真のその姿が、「ひたむきに生きろ!」
と叫んでいた。

燃えるように輝く満天の紅葉。写真のその姿が「どこまでも生命を燃焼しろ!
」と訴えていた。

藤中さんは大きく心を揺り動かされた。勇気と希望をもらった。「自分もこん
な写真を撮ってみたい。生きている証しとして、自身が感動したものを残した
い」。そう思った。

藤中さんは当時、大手フィルム会社の生産現場で指揮を執っており、多忙な毎
日を送っていた。その合間を縫うように、妻(婦人部副本部長64)と撮影に出
掛けた。国内だけでなく、ハワイ、インドネシア、タイなど海外にも行った。
●2度目1988年10月喉頭がん

再発への恐れがようやく薄らいできた1988年10月のこと。食事の際、のどに痛
みが走った。病院で検査を受けた。検査の結果、喉頭がんと診断された。再発
かどうか、その時は分からなかったが、2度目のがんの告知は大きなショック
だった。

幸い、発見が早かった。医師は切除手術ではなく、コバルト治療を勧めた。こ
うして再びのがんとの闘いが始まった。

当時、支部長。地域広布の最前線で活動する中で、藤中さんはしみじみと感じ
た。最初の闘病の時にはあった不安が、ほとんどなかった。がんと立ち向かう
中で鍛えた信心の確信があった。写真を撮り続ける中で得た、生きる喜びがあ
った。「絶対に負けない!」と誓った。

8年後、医師から完治を告げられた時、藤中さんは心の中で何回も叫んだ。

「勝ったぞ!自分は2度、がんを克服した!」

職場でも、海外の工場の立ち上げなど、大きな仕事を任され、信頼を拡大した
。一方、写真の技術も向上。周囲の勧めもあって応募したコンクールで、何度
も入賞を果たした。2度のがんを克服し、藤中さんは充実の日々を送っていた

●3度目2006年秋喉頭がん再発

しかしさらに……。「私の信心が、本物かどうか、まさに試すかのように」第
3の試練が襲った。

藤中さんの声がおかしいことに、妻が気づいた。2006年(平成18年)秋、喉頭
がんの再発だった。医師は、命を優先するため、声帯の全摘術が必要であるこ
とを告げた。

藤中さんは、言葉がなかった。がんの告知よりも、声帯を摘出することに大き
な衝撃を受けた。声を発することができなくなる自身を想像すると、動揺を抑
えきれなかった。

看護師の妻がこの時も藤中さんを強く支えた。「声が出たって、愚痴ばかりの
人生を送る人がいる。声を失っても私たちには信心がある。あなたには写真が
あるじゃないの」

真剣に御本尊に向かった。題目を唱えるなか、さまざまな思いが巡った。青年
部時代に、池田名誉会長から励ましを受けたこと。懸命に弘教に挑戦したこと
。そして、がんとの闘い。「信心に行き詰まりはない!」と教えられ、自らも
心に刻んできたこと……。

「声を失っても、使命は絶対に失うまい!」

奮起した藤中さんの心に、いつも銘記している御金言がよみがえった。

「冬は必ず春となる」(1253頁)

よし!もう一度、人生の春を勝ち飾ろう!自身の春を再び撮るんだ!

藤中さんのハラは決まった。手術は大成功に終わり、電気喉頭での発声が可能
なことも知った。藤中さんは、再び写真撮影に飛び出した。先月、藤中さんの
作品が、第59回二科会写真部展で入選を果たした。

作品名は「若者の主張」。街中で見かける青年たちの、一瞬の表情をとらえた
。それまで雄大な山や清涼感あふれる川など、自然の景色が多かった藤中さん
にとって、大きな転換だった。

「青年の心の叫びに耳を傾けようと思いましてね」

「青年学会」構築へまい進する今、青年にしっかりと照準を合わせる藤中さん
の人生も、“青春”真っただ中である。