投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月14日(水)07時43分57秒   通報 編集済
1957年(昭和32年)7月3日,先生が公職選挙法違反というでっ
ち上げの罪で逮捕された。「中尾:昭和31年の支援活動は大勝利したから,よ
かったけど,翌年の支援活動は,敗北したから先生が逮捕されたんやと思うと
,悔しくて悔しくて身の置き場がなかったです。もうひとつは,その翌年に戸

田先生が亡くなったから,戸田先生の最後の戦を負け戦でお送りしたのが,悔
しかった。それから何十年たっても戸田先生がお好きだった『星落秋風五丈原
』の歌は,涙,涙で歌われへん。大阪事件の悔しさは,絶対に今でも忘れられ
ない。関西はみんな悔しい思いをした。だから,このとき『戦いは絶対に負け

たらあかん』ていう『不敗の原点』ができたんです。7月17日,大阪拘置所の
外には,何百人もの学会員がつめかけた。正午過ぎに先生は出獄されました」
(第三文明2001年8月号より)(このときの颯爽とした姿は,グラフSGI100
号記念,8月号の9ページに)

そして19年後,1976年7月17日の本部幹部会で山本伸一作詞作曲「人間革命の
歌」が発表された。第一次宗門問題の兆しが現れていた時期である。

先生とともに3日間,作曲に随行され大きな貢献をされた創価大学の杉野教授
は,当時のことをこう語っておられた。

「完成の前日,『ここはもっと強い調子で』『もっと上に,もっと上に』との
先生のご指摘があった。『上に』と仰るが,曲というものは,どこかで下がら
なければ曲にならない。疲労こんばいの私に,先生は深夜,ご自宅に招かれ,
奥様と三人で緊張の勤行を。終了後,奥様の手造りのアイスクリームをいただ

いた。ああ,そうか,遠慮して口にできない私に気遣って,解けてしまうとも
ったいないからと,わざわざアイスクリームを出してくださったのか・・・・
・と思いました。その時,先生は『何が何でも明日7月17日の幹部会に間に合

わせよう』と仰った。私はその言葉に,愕然とした。このアイスクリームは・・
・あの1976年7月17日,出獄の際に初めて口にした氷・・・。『毎年,この日に作
ります』との奥様の言葉。涙が溢れた」。