投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月11日(日)19時44分34秒   通報
◎本部幹部会・第2東京総会でのスピーチから
(1996年12月16日、東京)

「心」を変えれば、「環境」も変わる。仏法でも「依正不二」「一念三千」と
説く。周りを見渡せば、獄中にも多彩な人材が集まっていた。いつまでも嘆い
ていてもしかたがない。サーツ女史は思った。“それぞれの持ち味を生かして
、学びあう機会をつくろう。学校をつくろう”“あの人は化学の講義ができる

だろう。あの人には医学の講義をしてもらおう”女史自身は、見事な歌声を披
露した。あるときは、よく響く澄んだ声で、プーシキンの詩を朗読した。皆、
感動した。勇気がわいてきた。暗く閉ざされた牢獄。だからこそ、静かに勉強
できる学校となった。芸術を存分に味わう劇場ともなった。心一つで何でも変

えられる。“さあ、今いるこの場所で、楽しく有意義な一日一日を送ろう”と
。本当に賢明な人は、どんな状況でも価値を創造する。いわんや仏法ではで「
心は工《たくみ》なる画師《えし》の如し」と説く。「心」は名画家のごとく
、一切を自在に描き出していく。したがって、人生そのものが、「心」の描く

「名画」である。創り上げる芸術である。サーツ女史は、皆と決めていた。「
人間は一人きりで悲しんではいけない」と。一人では悲しみがよけいに深まる
。救いがなくなる。“人《ひと》の間《あいだ》”と書いて、人間と読む。人
間と人間の切磋琢磨のなかでこそ、「人間」ができていく。「自分」が豊かに

なっていく。時には、組織がわずらわしく、「一人きり」になりたいと思う場
合もあるかもしれない。しかし実際に一人きりになり、退転してしまえば、ど
れほど寂しいか。どれほど、わびしいか。同志とともに、喜怒哀楽を繰り返し
ながら、にぎやかな“人間の世界”で生きぬいてこそ、成長できるのである。
このように、サーツ女史は優れた哲学者であり、人間主義者であった。人間主
義とは、何も高尚な理論である必要はない。どこまでも人間を信ずること、人

間と人間を結ぼうとすること。ここに人間主義がある。つまり「友情」をつく
っていくことである。友情は強い。学会も、根底は友情である。同志愛である
。異体同心の信心の団結である。それがあって、組織の機構がある。それを反
対にしてはいけない。組織は、友情を、同志愛を、そして信心を深めるための

手段である。それをあべこべにしたらたいへんである。組織を目的にした場合
には、権威主義の組織悪になってしまう。ともあれ、友情を地域に社会に広げ
ゆく学会活動は、毎日毎日、「人生の宝」を積んでいるのである。私どもは信
仰者である。「あの人はすばらしい!」「ああいう人間に、なりたいな!」―
―人々から、そう思われる人生を生きていただきたい。人生の「人間革命の劇
」を自分らしく、つくっていただきたい。“自分が変わる”ことである。日々

、自分らしく、自分の人間革命の劇をつづっていくのが最高の人生である。そ
の成長の姿それ自体が、偉大な折伏なのである。ここで御書を拝したい。これ
まで繰り返し拝してきた「開目抄」の一節である。「我並びに我が弟子・諸難
ありとも疑う心なくば自然《じねん》に仏界にいたるべし、天の加なき事を疑
はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕《ちょうせき》教

えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつた《拙》なき者のならひは約束せ
し事を・まことの時はわするるなるべし」(234㌻)――われ、ならびにわ
が弟子は、諸難があろうとも、疑う心がなければ、必ず自然に仏界にいたるの

である。諸天の加護がないからといって、(法華経の大利益《だいりやく》を
)疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。わが弟子に
朝夕、このことを教えてきたけれども、(大難が起こってみると)疑いを起こ
して、皆、信心を捨ててしまったのであろう。愚かな者の常として、約束した
事を、(まさに、その約束を守るべき)本当のときには忘れるのである――「
自然《じねん》に仏界にいたる」――この一生を戦い通せば、必ず、仏になる

と仰せである。だからこそ、どんなにつらいことがあっても、「一生成仏」を
とげなさい、と。「一生はゆめ《夢》の上・明日《あす》をご《期》せず」(
御書1163㌻)である。一生は夢のようなものである。明日《あす》さえ、
どうなるかわからない。自分でどうすることもできない。そのなかで、永遠に

自由自在に生きぬける自分をつくるのが「一生成仏」である。そのための信心
である。そういう境涯を、つくれるかどうかが「今世の勝負」である。生命の
境涯を変える――これは、科学でも経済でも政治の次元でも、どうしようもな
い。仏法しかない。その仏法に、私どもは今世でめぐりあったのである。「法
華経の大利益を疑ってはならない」――長い日で見れば「大利益」は必ずある
。一時は悪く見えても、絶対に「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」できる。

「現世が安穏でないと嘆いてはならない」――安穏であれば、生命は鍛えられ
ない。食べたいときに食べ、寝たいときに寝ていれば堕落しかない。難と戦っ
てこそ、生命の金剛の大境涯はできる。ゆえに大聖人は「難来《きた》るを以
て安楽と意《こころ》得可《うべ》きなり」(御書750㌻)と仰せである。

仏道修行に苦労は多いけれども、安穏なだけの人生では、とうてい得られない
「人間革命」という大歓喜がある。だから大聖人は「まことのときにこそ、信
心の約束を忘れてはなりませんよ」と、厳しく仰せになっているのである。