投稿者:ツイート人 投稿日:2016年12月 9日(金)17時36分9秒   通報
ある意味当たり前のことかも知れない。
だが、多くの宗教がこの道理を転倒させて来た。「聖職者」によって。

そして池田先生は、1992年 「青年とのつれづれの語らい」で、

①聖職者は、一番、厳格に自分を律し、一番、不惜身命で社会の人々を救っていく「立場」なのに、反対に宗教の権威を利用して、信者を見下し、いばり、手段にしていく。

②「立場への敬意」と、「自分への尊敬」を取り違えて、堕落し、それを恥とも思わない。悲しいことに、これが「現実」です。問題は、この「転倒の現実」に民衆が慣らされてしまったことだ。それでは永遠に奴隷です。利口にならねばならない。立ち上がらなくてはならない。それでこそ「人間」です。

③「立場」が強い者が、弱い者をいじめるのであれば、それは弱肉強食の動物の世界、畜生の世界じゃないか。弱者を守り、悪い強者とは戦っていく。それでこそ、人間の世界です。釈尊も、そして日蓮大聖人が根本的に、この「転倒の世界」をただし、救おうとされたのです。