①菩薩の使命。(特に本職さんへ)
投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月24日(水)14時59分1秒 返信・引用

真の「幸福」は、使命を果たすなかにある。
中途半端は、どこまで行っても中途半端な人生となる。
医師は病苦を救ってこそ医師である。
教師は人を立派に育ててこそ教師である。
車は走ってこそ車、電灯は輝いてこそ電灯である。
仏法者は仏法を弘め、興隆させてこそ仏法者である。

日蓮大聖人は、菩薩が使命を果たさず、悪と戦わない場合はどうなるかを、諸御抄で厳しく教えておられる。
たとえば、天台大師の師である南岳大師の次のような言葉を引かれる。

「若し菩薩有りて悪人を将護して治罰すること能わず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」(御書一三七四頁。『法華経安楽行義』大正四十六巻)

――もし菩薩(大乗仏教の実践者)がいて、悪人をかばって罰することができず、そのことによって悪人の悪を助長し、善人を悩ませ乱れさせ、正法を破壊させれば、この人はじつは菩薩ではない。(この人は)外面はいつわって(人々を)あなどり、つねにこう言うであろう。「私は忍辱(侮辱や迫害を耐えしのぶこと)の修行をしているのだ」と。この人は命が終わって、もろもろの悪人とともに地獄に堕ちるであろう――。

悪を容認し、打ち砕かなかったら、悪を助長させ、善人を苦しめ、正法を破壊させてしまう。
これは悪人と同じ罪になると。
「忍耐しているのだ」などという《寛大さの仮面》をいつまでもかぶっていたら、最後には地獄であると仰せである。

立つべき時に立ち、叫ぶべき時に叫ばねば成仏はない。
南岳大使の言葉と同様に、牧口先生は「善いことをしないのは悪いことをするのと同じ」と教えられた。
学会の指導は、すべて御書に基づいている一例である。

【婦人部・青年部合同協議会 平成三年九月二十一日(大作全集七十八巻)】