投稿者:おおぐろ 投稿日:2016年12月 5日(月)13時29分36秒   通報
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“人間革命”といっても下半身の人格は一向に変わらない

桐ヶ谷や八尋も、女好きでは人後に落ちない。

たとえば、昭和46~7年ごろ、沖縄復帰にともない、沖縄創価学会の合併手続きのため現地に滞在したときのことである。

桐ヶ谷は、石垣島で“夜の女”を買った。その体験を、山崎正友や八尋頼雄に自慢話した。

2人は散々冷やかした。

「あの女は、額に吹き出ものがいっぱいあったぞ。変な病気をもっていたに違いない。あの手の女は危ないからな……」

桐ヶ谷は青ざめて、那覇に帰るとさっそく皮膚科の医院に駆けつけた。医者は抗生剤等を処方したうえで、一カ月ばかり性行為を控えるように指示した。帰国した桐ヶ谷は、毎日のように抱いていた女房との交渉を断った。女房が誘っても応じない。

1カ月が過ぎて、晴れて女房を抱いたとき、感極まって桐ヶ谷は思わず口走った。

「ああ、お前がやっぱり一番いい!」

とたんに女房は、桐ヶ谷を突き放した。

「ちょっと、一番いいって、誰と比べて言っているのよ。誰か他の女とやったの!?」

あわててあれこれ言いつくろおうとしたが、もはや手遅れ、あとの祭りである。

女房は桐ヶ谷を許そうとしない。

「あれほどナニが好きなあんたが、1カ月も何もしないなんて、本当におかしいと思っていたわ。それと、私に隠れてこっそり薬を飲んだりしていたら、なおさら分かるわよ」

桐ヶ谷は、ありのままを白状し、平身低頭謝ったが、許してもらえない。

翌日、女房は、夫婦の仲介人である山崎正友のところへ、自分が印鑑を押した離婚届をもってきて、「あなたにも責任がある。主人に印鑑を押させてください」と言って置いて帰った。

山崎正友も閉口して、あの手この手で必死になだめ、何とかもとのサヤにおさまらせた。

そんな桐ヶ谷は、それでも一向に懲りず、その後もソープ遊びなどに率先して付き合った。

一方、八尋も、その方面では人後に落ちない。

学生時代、下宿していた家の女房(学会員。その折伏で入会)とねんごろなり、家賃を免除してもらい、亭主に隠れてうまい食事にありついていたチャッカリ派であるが、創価学会本部に入った直後、「レストランはくぶん」のウエイトレス(女子部幹部)とねんごろになり、結婚すると言い出した。周囲がいろいろと手配して、池田大作のOKを取り、どうやらメデタシとなりかけたとたん、八尋はこの女性に飽きて、婚約を解消した。創価学会のなかで出世するには、結婚相手の女も選ばなくてはならぬということに気づいたのである。

やがて、池田大作の指名で第一庶務の女性と結婚、山崎正友が結納を納める役をおおせつかった。結婚式には、池田大作の妻香峯子が出席した。ところが、子供できたこの女性と、また離婚してしまった。そして再婚しようとしているが、娘の反対でままならないという。

女に弱いのは、セクハラで秘書に訴えられて名を上げた片上公人(元参議院議員)だけではない。

なお、さらに余談だが、“情報師団”にも、女の話はつきものであった。北林芳典の酒グセと女グセの悪さは相当なもので、酔うとサディスティックになる。

池田大作出席の結婚式で娶とった妻に、酒に酔った北林は、「お前はただでメシを食わせてもらっているのにサービスが悪い。トルコ(ソープ)の女は、1万円で何でもする。お前も見習え」と命じ、泣いている妻に手淫やフェラチオを命じた。

途中で爆発した北林の精液は天井まで届き、仰向けに寝ていた顔面に降りかかった。北林は、「何て不器用なんだ。片手で上からあてがっていないからこうなるんだ。バカヤロー」とののしり、妻をなぐった。

北林は、酒の席で、酔っ払うとこの話を自慢げに披露するのがクセだった……。“裏の仕事”は、どうしても人格を荒廃させるのだ。

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