投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月 5日(月)13時05分17秒   通報 編集済
創価学会名誉会長 池田大作
北東アジアの交流を

「平和の確立のため,人類文明の進展のために,主要にして積極的な貢献を なすのは,東アジアであろうと期待します」 英国の大歴史家トインビー博士の忘れ得ぬ言葉である。 30年前,ロンドンのご自宅で,博士と私は「21世紀への対話」を重ねた。 その一つの焦点は,中国
と韓・朝鮮半島,日本など,北東アジアの巨大な可能 性であった。 博士と2年越しの対談を終えて,欧州から戻った翌月(1973年6月),私が真 っ先に訪問したのは, 福井県である。 いにしえのギリシャ・ローマ文明は,地中海の交流が育んだ。新たな21世紀の 文明創造の海は, 日本海であろう。福井は,この「東洋の地中海」沿岸の中心点
である。 ☆ 環日本海が一つの輪となり,民間の力を軸に,地域の発展と環境の共生をめ ざそう―― 今年の7月,福井新聞社で行われた「北東アジア交流プロジェクト」の論点を ,感銘深く伺った。 地球を町に譬えれば,北東アジアの国々と日本は「向こう三軒両隣」の関係 にある。 隣同士が緊張したままでは,互に不幸だ。両方が損をす
る。 昨年の秋,ゴルバチョフ元ソ連大統領と再会した折にも,環日本海の対岸交 流が話題となった。 「時代の流れに身をまかせるのではなく,そこに意思をもって働きかける努 力が必要です。 そのために,我々は対話し,協力し合わねばなりません」 冷戦を終結させた
人物だけに,重みのある一言であった。 日本の指導者も,平和への確固たる信念とビジョンを持つべきだ。 戦後の日本は,欧米諸国ばかりに目を向けがちであった。 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との問題も,政治の対応があまりにも鈍感 であった。 足下の安定と友好を築かずして,真の平和はない。ここに,歴史の鉄則があ る。 日本
がリーダーシップをとって「北東アジア平和会議」を行い,国連等と連 動させる積極的な試みが あってもよいのではないか。 ☆ 古来,敦賀港を擁する福井は,大陸の施設を迎える松原客館が置かれるなど ,日本の表玄関であった。1900年の1月,真冬の荒海で難破した韓・朝
鮮半島 の商船を,泊村(小浜市泊)の村人が救出した歴史も有名である。記念碑には ,「海は人をつなぐ,母の如し」と至言が刻まれている。 韓国との国交成立前に,水原の青年会議所と友誼を結んだ民間
交流の先駆の 県も,福井だ。 国家の政略に左右されぬ,民間と民間,人間と人間の交流が,ますます,重 要な時代に入った。 その尊いモデルが,福井県出身の教育者・藤野厳九郎先生と,中国の留学生・ 魯迅青年の出会いではないだろうか。 私も,文豪・魯迅負債が恩師の国へ寄せた友情の深さを,ご子息の周海嬰氏 から伺った。 今,師
弟の故郷である福井県と浙江省には,20に及ぶ友好関係が結ばれてい る。 省都には,麗しい「福井杭州友好公園」がある。 ☆ 何よりも近隣諸国と,信頼と友好を結ぶべきである。 これが,日本の哲学であり,目標でなければならない。 いわんや,20世紀の日本は,アジアの歴史に,暴虐な戦争の悲劇を刻んでし まった。 心から信頼される
日本への努力を,絶対に忘れてはなるまい。 すべて「平等互恵」こそ,真実の平和の定理だ。 四半世紀前,フランスの行動する文化人アンドレ・マルロー氏と私は,対談 集を発刊した。 その出版を喜ばれ,福井県生まれの碩学・桑原武夫先生がエールを贈ってくだ さった。 「平和の精神の普及と,人類の地球的結合へ,さらなる民衆の運動を

!」と 。 日本海に臨む急斜面で,厳冬を耐え抜いて凛と咲く県花・越前水仙――。 21世紀の北東アジアの青年たちの心に,教育と文化の交流で美しい友誼の花 々を開花させていきたいと, 私は願う一人である。

2002年11月20日 福井新聞より

特別寄稿の「提言」に思う
鋭い”見識と先見”そして行動
福井県 勝木 健俊 (福井商工会議所副会頭)

池田名誉会長の「教育」「文化」に対する提言を,いつも注目しています。 今回,福井新聞への特別寄稿「平和への貢献―北東アジアの交流」も,示唆 に富む提言に,感動を深く しました。 名著として,今も読み継がれている,トインビー博士との対談集『21世紀へ の対話』で, すでに北東アジアの巨大な可能性に言及された

高い見識。 また,日本海を「東洋の地中海」と見なされ,トインビー博士との対談後,真 っ先に沿岸の中核都市・ 福井を訪問された行動。感銘を覚えます。 当時,冷戦構造のなかで,第2次世界大戦の戦後処理の問題を抱えながら,日 本は,北東アジアの諸国と国交正常化に
努力し始めたころであったと思います 。 その後のアジアの発展・交流を見るにつけ,名誉会長の先見の明を実感しま す。平和のために,
足元の 安定と友好を築かねばならない,との強い信念が,率先の行動を生むのだと思 います。 日本海沿岸の発展を担う私たちが奮起し,北東アジア交流の道を大きく開い ていきたいと思います。

2002年11月28日 聖教新聞「声」の欄より