投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月17日(木)12時24分20秒   通報
私は26年前、1991年の初頭のでき事を昨日の事の様に思い出します。
その時に彼らが言っていた言葉を。
私はその当時は、教義の問題は、この国だけの問題だと信じて疑わなかったのです。

会合に出て、宿業や輪廻の話をするたびに、毎回みんなにヒンズー教徒だとばかにされる
という主人の問題を解決するために、私は日本人も含めた10人程の青年部を自宅に招待しました。

しかし、彼らは、私が信じている大聖人の思想は、古い過去のもので、日本の組織もすでに
その様な古い思想からは脱皮していると言っていました。
更に、私の話している思想は幼稚園生のようなものなので、大学教授のレベルである彼らの
思想を、私が理解できるはずはないと言われました。

そして、現実には、真摯な対話は実現しませんでした。

全国女子部長とも電話で話してみましたが、全く同じ事を言われました。

その後、海外からの学生など、多くのその青年達は、それぞれの国に新しい思想?を携えて帰って
いきました。
彼らが今頃どうなっているかを思うにつけいつも心が痛みます。
今では彼らも組織の中心を担う、壮年、婦人部になっているはずです。

、、、とここまで書いて、突然気がつきました。
1991年と言えば、正宗から破門された年ではなかったでしょうか。
その年の初頭に、すでに日本の組織の教学が変わってしばらくたっていたという事は、破門された
ことによってしかたなく教義の独自性を模索し始めたわけではなく、それ以前から、水面下では、
物事がちゃくちゃくと進められていた、ということになりますね。

それで頭に浮かんだのが、宮田教授が言っていたハワイレポートです。
ハワイレポートは昭和53年(1978年)に書かれたれたもの、つまり、38年前ですが、
それが今の状況に似たものなら、その根拠は確かなものとなります。
そして、驚いた事に、ハワイレポートはまさに、今の学会を方向づけてきた指針であったことが明らかに読み取れます。

http://nippon-senmon.tripod.com/soukagakkai/shukyou/hawaii_report.html

世界宗教として考察すべきこと

教義的にも、ギリギリのところには、日蓮大聖人を立てなければならないが、
日蓮大聖人の位置づけも、インドの釈迦再誕・日蓮であるとか、仏教国の日本で、偉い指導者が出て、カントリー仏教になったなどの位置づけをしていく必要がある。(釈迦仏教との連動性の保持)。
すなわち、教義の普遍化ということだ。
この様な緻密で高度な心理学を応用して、しかも38年もの長期に渡る計画を、滞ることなく継続できたその強大な力がどこからきているのか、、これだけは私にもわかりません。
微力な力ではない事だけはたしかでしょう。
世界中で実行しているわけですから。