投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月11日(金)11時20分37秒   通報
「本仏]とはどういう存在か、釈迦か日蓮か、宇宙の中で只一人の存在か、凡夫とはどう違うのか、又、日蓮大聖人とは
一体どういう存在なのだろうか、という問題は、私も長い間回答を見つけるのに悩んできました。
それは特に元キリスト教徒である主人から他宗教との違いをこれでもかというほど(笑い)説明を求められる事から
始まりました。
自分の外に生き方の規範を求める外道の「神」はその存在を理解するのは比較的容易ですが、内道である仏法は
人間の内部から出発するものの、個を超えた宇宙的「我」もその思想の枠内の為、汎神論的な思想と相まって、
しかもその上に、時間概念の多重的概念も加わるのでその頂点に立つ「仏」の意味はある意味広範囲なものとなります。

外にある道(外道という響きに悪の要素だけがかなり強い感があり反感を招く事が多いので、自分の外に生き方の規範を
求める思想、つまり、完璧な三世の因果の法理を説かない思想(外道ですが)を、ここでは端的に「外にある道」と
呼ばせていただきます。)であるキリスト教、イスラム教、ヒンズー教など、又は仏教の中
でも、禅や小乗教、チベット仏教が混ざっており、はては、ニューエイジ、今はやりのNON-DUALISM (一元論)などが
ひしめく多文化、他宗教の国で、仏法の「仏」の概念、就中、大聖人の教えにおいての「仏」という概念の説明を
求められたら、回答するのは実に困難です。(簡単に言って済ませる事もできはしますが、、(笑い))

そんな中で長年に渡って私が思索してきた事を書かせていただきました。
「本仏」の話といってもそれに関連することは多岐にわたりますが、ここでもいくつかの視点から更に深く分析する事を
試みました。
いつもできる限り御書を依処に判断しているつもりですが、曲解に思える点に気づきましたら、ご遠慮なくご指摘下さい。