投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年11月 2日(水)16時52分46秒   通報
仏典(涅槃経)には「執着することから不幸(苦)が生じる」と説かれています。

釈尊の前世の姿である雪山童子は、羅刹(鬼)が口ずさんだ

「諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)」

という半偈を聞いて喜び、その続きを教えてもらうために、
自分の命を捧げる条件で、続きの半偈を説くよう羅刹に懇願します。

これは有名な涅槃経の寓話ですが、

雪山童子はなぜ、命を投げ出せたのでしょうか。怖くはなかったのでしょうか。

諸行無常・是生滅法とは

「すべての作られたものは永遠ではない。〝生じては滅びる〟ことがすべての真実の姿である」

という意味ですが、

雪山童子は人為的で形式化したバラモン教の儀式で、
本当の幸福が得られるはずはないと考えていました。

そして、真実の教えを求める旅の途中で羅刹に出会うのです。

羅刹は雪山童子の条件(命をもらう)を承諾し、残りの半偈を説きました。

その答えは

「生滅滅已(しょうめつめっち)・寂滅為楽(じゃくめついらく)」――。

つまり

「生じるものは滅びる。だから、はかないものを求める欲望も永遠に続くものではなく、
いつかは滅びる。その欲望が滅びた境地こそ、真実の幸福である」という意味です。

確かに〝若さ〟を誇ってみたところで、いつかは老人になります。
また、人間が努力して築きあげた財産や身分も永遠のものではありません。

そんなはかないものに執着し、それを追い求める人生に、真実の幸福はないのかも知れません。

また、その執着した心自体も永遠には続かない。なぜなら、人間もいつかは死を迎えるからです。

これこそ自分が求めていた〝答え〟だと雪山童子は感動し、自分が死んだあとも、
人々が知ることができるように、羅刹から聞いた法を、木や石に書きつけました。