投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月27日(木)20時44分10秒   通報
「池田大作という人 その素顔と
愛と生き方」 五島勉著

第6章 ふきあがる炎

「ジャンパーと靴下と使命と」

しかも、コッペパンはほんの一例なんだ。
当時の池田青年の行動をたんねんに
たどっていくと、あちこちで同じような
話しにぶつかる。

横浜に近いある古い支部でも、こんな
エピソードをきいた。
冬の寒い日、池田青年はその支部を
励ましにやってきた。

二、三十人の人が座談会に集まった。
が、会場はしんしんとひえ、片隅では
一人の少年が、うすい夏服をかき
あわせてガタガタ震えていた。

とたんに、池田青年の口からほとばしった
のは、「ウーッかわいそうだ!」という、
絞り出すような叫び。

彼はポロッと涙をこぼした。
自分の一枚っきりのジャンパーをパッとぬいだ。
そして、自分も寒さでふるえているのに、
その少年の肩にそっとジャンパーを着せかけて
やった。

ジャンパーぐらいならまだいい。やはり冬の最中、
別の支部に励ましに行ったときは彼は靴下まで
ぬいだ。「これ使えよ」と、向かい合ってた若者に
優しくはかせてやった。その若者がボロボロの
靴下をつけ、はみ出した指に「あかぎれ」を
きらしていたからだった。

この靴下のエピソードとよく似た話しは、ある新聞の
ベテラン記者・央忠邦さんが書いた、『池田大作論』
という本の中にも出てくる。

しかし、これにしろ、先のコッペパンやジャンパーの
話しにしろ、池田さんはしゃべったことがない。
学会の正確な歴史をえがいた『人間革命』の中にも、
一行も出てこない。どうして書かないんですか?
と本人に問い詰めると、池田さんはすごく怒って、

「なかったよそんなこと!誰がそんなこと
言いましたか!」と、照れ臭そうに黙りこんでしまう。
私は、こんな池田さんを、特別に讃美するつもりはない。

ただ、池田大作とはそういう人だ、ということを
言いたいのだ。そういう人だからこそ、皆が喜んで
ついていった。そういう池田青年が高くかかげた
火だったからこそ、激しい炎がみんなの胸にも
広がっていったんだ。

天性の指導者としての才能。会員みんなのために
いつまでも自分を投げだせる素質。
師の戸田さんは、池田青年のこの大きな成長を、
本人よりもハッキリ見抜いていた。未来の学会を
引っ張っていけるのは池田青年しかいない、と、
戸田さんはあらためて強く思うようになっていた。

だから、1951年の初夏、学会に初めて「男子部」が
つくられた時、そして23歳の池田青年が小さな班の
班長として、その結成式に加わった時、戸田さんは
静かに微笑んで全男子部員に告げた。

「ここに集まった百数十人の若い男子部員諸君。
この中に創価学会の 第3代会長になるべき方が
おられます。私は、その方に今、心から
ごあいさつ申し上げます。その方がこれから
切り開いていく道こそ、学会が進むべき道です。

それは人類に永遠の平和と幸福をもたらす道、
暗黒の現代の中にたった一つひらける道、
世界の新しい夜明けを告げる力強い道になるに
ちがいありません!」