投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年10月26日(水)12時36分34秒   通報 編集済
ここで三諦(空・仮・中)の原理を、現代の支配的思想である

「唯心論・唯物論・実在主義」にあてはめてみると、

唯心論は空諦の一部分、
唯物論は仮諦の一部分、
実在主義は中諦の一部分

をそれぞれ説いたものといえます――とはいっても、それぞれ同じであるというのではなく、
それに近い極めて表面的な一部分を説いたというだけです。

もっと具体的にいえば、

唯心主義は十八世紀初頭のイギリスの代表的な唯心主義者バークリーが
「物質はことごとく心の幻影にすぎない」と述べているように、

物質よりも精神、肉体よりも心を中心にして考える思想であり、空諦に重きを置いた考え方です。

また

唯物主義は生命を物質面に置き換えて考えるがゆえに、仮諦の一部を説いたと言えます。

さらに

実在主義は自己の本質とは何かと問い、人間性の究極を実在と名づけ、これを追究しています。
この実在という考え方は、中諦に近い発想であるといえます。

要するに、これまでの哲学はいずれも三諦のごく一部を説いたものであり、一面的な生命観です。

しかも唯心論は現実から遊離した観念の遊戯に堕しており、
唯物論はそれで生命全体を規定しようとしたために「生命の尊厳」をふみにじる暴力革命論を生みました。

さらに実在主義は追究すべき実在の実体が明確にされず、生命の内奥にみる宿命を打開することはできません。

これらに見られる生命観の誤りは、生命に対する見方の誤りというより、
部分をもって全体とすることからきていると思います。

また、現代社会にあてはめて考えていけば「進歩や活力(空)・調和(仮)・原点(中)」の三つのうち、
どれ一つ欠けても、社会の健全な発展はあり得ません。

たとえば、人間という原点なき調和は、馴れ合いの利害的妥協となります。

また、進歩なき調和は停滞です。

さらに、調和の視点が欠落した進歩や発展は、社会にさまざまな歪みをもたらし、
偏ぱな社会を作り出して民衆を不幸に追い込んでいます。