投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月15日(土)19時03分47秒   通報
私達夫婦は、主人が学会員であることや、
私自身が再婚であることなどから、
周囲に結婚を猛反対され、駆け落ち同然に
滋賀の地に引越してきて入籍しました。

過去に身内の学会員の金銭問題などから、私の
実家は学会を憎悪しておりました。
結婚のときも『生きて恥をさらすより、私達の
目につかないところに行ってくれ』と、

絶縁されてしまいました。六畳ひと間のアパートの
半分は仏壇が占めているような部屋で、
私達の結婚生活が始まりました。
やがて私は子供を身ごもり、その子が無事健康に
産まれてくれるように毎日一万遍のお題目をあげました。

長女はある雪の日に大変安産で産まれました。
助産婦さんにも、初産なのに、ずいぶん軽いお産だったね、
といわれ、それまでの、ながかった自分の苦悩の日々を
思い出して、あまりの幸せと感動で涙が止まりませんでした。

しかし、病院を退院する日に39度の原因不明の熱を出し、
医者は、風邪だろうということだったので、風邪薬を飲ませて
そのままにしていました。
長女は熱が下がったあとも機嫌が悪く、おっぱいもあまり
飲んでくれず、一日中泣き続けていました。
私はあまりの疲労でくたくたになり、仏壇のまえに
座ることも出来ないまま、ノイローゼになりそうでした。

しばらくすると娘は後ろに反り返るようになり、
寝ているとき以外はずうっと反っている状態。
おっぱいも飲めなくなり、ミルクを反対側から飲ませるように
しないと、飲めないのです。

抱っこもしにくく、一体どうしたらいいのか途方にくれる
日々が続きました。
3ヶ月が過ぎたころ、たまたま連れて行った近所の小児科の医師が
『あれ...この子ちょっと変や。紹介状を書いて上げるから、
大きな病院でみてもらわなあかん』と、あせった様子でいわれるのです。

私はどきどきしながら『どういうことですか?』と聞くと、
『断定はできへんけど、脳性マヒの兆候があるし、反りがきついんで、
すぐにリハビリせな。

リハビリすれば抱っこもしやすくなるし、小学生ぐらいには歩ける
ようになるかもしれん』というのです。
私は呆然として娘を抱きしめ、家にたどり着きました。
しばらくしてから主人と一緒に紹介された病院へ行きました。

反射の検査や、脳波の検査、血液検査、など、されてすぐに
リハビリに回されました。
カルテには難病指定、脳性麻痺と書かれてありました。
その日はMRIリハビリの予約をして帰りました。

帰り道、ずっと我慢していたものがあふれてきて、
『なんでこの子が...?なんでなん?』と道端で
泣いてしまいました。
帰ってからそれまでずっと黙っていた主人が言うのです。

『わし、こんな話聞いたことある。
関西文化祭の練習の時に、
まっすぐに整列させようおもても、
独りだけはみでる子がおってんや。
リーダーが『なんやあいつは』思って、
『なんでおまえは頭がはみでとるんや』
いうと、隣の子が『彼は重症の斜頸(しゃけい)で
生まれつきなんで仕方ないんです。』いうたんや。

そのリーダーは(池田先生に来ていただくのに、
独りだけ頭はみでたらかわいそうや!)
思ったらしい。その子に『おまえの主治医はだれや!』聞いた。
その子は『マルマル病院のマルマル先生です』と答えた。
するとまた『おまえの主治医はだれやきいいとるんや!』いう。

その子ははっとして、『はい、御本尊です!』と答えた。
『そしたらいつまでになおすんや。』と聞いた。
『はい文化祭までに治してきます』と答えたんや。
そしたらまた厳しい顔で『いつまでになおすんや!!』聞きよる。
その子はしばらく考えて『今月中に治してきます!』と言った。

するとますます険しい顔で、『いつまでに治してくるんや!!!』と
聞くんやな。そんでその子顔真っ赤にして『明日までに治してきます!!』
言いよったんや。

それでもまた『いつまでになおすんやーーー!!!!』言うんや。
その子は『....今、今、治しますーーー!!!』言い切ったんや。
その瞬間手術も出来ず、医者も見放した斜頸(しゃけい)が
まっすぐになっていた。

『一念』なんや。『一念』で決まるんや。わしら、その為に信心しているんや。』
と言うのです。私は滂沱の涙やった。そのリーダーの部員を思う一念の深さに。
祈りの深さに。

私が悲しんでいてどうするんや!この娘は私に命懸けで信心を教えてくれようと
しているんやな。私が妊娠中ずっと祈っていた通りのことやったんや。
私は子供が寝付いてから勇気を出して御本尊の前に座った。
『大地はささばはずるとも、虚空をつなぐ者はありとも...
法華経の行者の祈り叶わざることあるべからず』と、婦人部のメンバーが
激励に来てくれる。

私は『私が絶対に娘を治してみせます。娘の脳細胞をすべて生き生きと
蘇生させたる!それまでここを動かん!広宣流布のために私はすべてを
御本尊に捧げます!!!!!』祈っていくと、涙が次々にこぼれてきて、
自分のなかから戦い抜く勇気と深い感謝の気持ちがあふれてきました。

娘のふるまいの偉大さと、自分の『障害』を持つことを恐れていた臆病さに
気付くことになり、『障害』に対し感謝さえしている自分の変化に感動し、
何といってよいのか解かりませんが私のなかでなにかが一気に開いた感じでした。
しばらくして、娘がワーっと泣いて起きたのです。

私は我に返り娘を抱き上げました。その時なんか変な感じがしたのです。
あれほど反っていた娘の脊髄がまっすぐなのです。おまけに頚もすわっている
ような気がしました。私はびっくりして何度も抱いたり、下に降ろしたりしました。

でも娘は二度と後ろに反らないのです。私は御本尊の前であまりの凄さに
立てなくなりました。『うそ・・・なんで・・・』とつぶやいていました。
でも次の日病院へ連れていくと、『あれ・・なんでやろ・・』と
医師も不思議そうでした。

『治ったということですか?』と聞くと、
『ん~~~?ちょっと良く解からんケースやし、とりあえず歩くまでは
毎日リハビリに通ってください。子供の脳の事は多くがよく解かっていない
のでどんな事があっても不思議じゃないです。』というのです。
リハビリの先生に『反らんようになったで』というと、
『ほんまや~~~!これやったらいけるんちやう~~~?こないだみたときは
ひどかったのになー。』と言われました。その後、MRIの検査でも問題なしでした。
リハビリは1年6ヶ月一日4回のボイター式訓練というのを続け、
通うのも片道1時間、大変でしたが、友達も出来、充実した毎日を過ごしました。

1歳半の夏に『リハビリがこんなに効果を出した例はあんまりないですよ』といわれ、
終了になりました。3歳の検診では、知能においても運動においても全く異常なし
ということでした。リハビリで知り合った友達とは学会理解もすすみ、
この体験を多くの同じ様な症状をもつお子さんの親御さんにも聞いていただく
ことができ、またこの体験を通して勘当されていた身内に人たちにも理解の輪が
ひろがりました。

『恥をさらすなら人目につかんとこで暮らせ』とまでいわれた私でしたが、
今では『老後の面倒はおまえがみてくれ。琵琶湖のそばで暮らしたい』と
まで言ってくれるようになりました。娘は近所の友達4~5人といつも家の
仏壇のまえで唱題をしています。

『な~~御題目ってすっきりするやろ~~』と言って折伏しています。

これが私の信心の原点となった体験です。