投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月17日(金)17時25分45秒   通報
一方、提婆達多は六万蔵を暗唱できるほどの記憶力の持ち主でした。

それは智慧第一と言われた舎利弗と肩を並べるほどの頭脳明晰で優秀な弟子だったのかも知れません。

しかも釈尊の従兄です。
回りの弟子たちからは一目おかれて当然の存在だったでしょう。

もしかしたら、師匠の釈尊よりも提婆達多のほうが上なのではないかと思う弟子もいたかも知れません。

釈尊が説法をすれば、即座に理解し、
それを即座に自分の言葉として語れるだけのものを持っていたと思います。

しかしそれは素直に師匠の言葉を信じ、伝えるのではなく、師匠であるはずの釈尊でさえも、
自分の飾りに利用してしまう傲慢な心と、頭脳と、計算があったとしても不思議ではないでしょう。

提婆達多にとってその能力が〝仇〟となり、増上慢に陥って師匠に反逆し、
結局は生きながらにして無間地獄に堕ちてしまったのです。

修利槃特のような弟子は、今の世ではむしろ稀です。問題なのは提婆達多です。

なぜ提婆達多は六万蔵を暗唱できるほどの優秀な能力を持ちながら、
無間地獄に堕ちなければならなかったのでしょうか。

その答えは、釈尊が修利槃特に教えた十四文字の中にあるのではないかと考えます。

法句譬喩経には、釈尊から十四文字を教えられた修利槃特は
「仏の慈恩を感じて偈を誦して口に上がらせた」と説かれています。

修利槃特はその愚鈍さゆえに、師匠の言葉を疑わず、必死になって守ったと思う。

「悪い事はしない(身)。間違ったことは言わない(口)。我見を持たない(意)」――。

ただそれだけが、師匠の慈恩に応えることだと信じて疑わなかったのだと思います。

師匠を信じ、師匠の大慈悲に報いんとする報恩の一念が、
愚鈍の修利槃特にしてやっと「一偈を口に上がらせた(覚えた)」のだと思います。

さらに法句譬喩経には

「それを見た仏は、次のように告げて法を説き始めた『汝は今、年老いて、まさに一偈を得ることができた。
今、汝のためにその義を解説するから一心に聞くように』と」述べ、

仏は〝身三、口四、意三〟の善悪業を説き、その起こりと消滅、
三界五道の輪転、昇天と堕地獄の理由を語り、涅槃を得る道を説き切りました。

その時「修利槃特の心が開けて、阿羅漢の道を得た」と記されています。

その後、釈尊が修利槃特を伴って国王(波斯匿)のもとに訪れた時、

王が釈尊に「修利槃特は本性愚鈍であると聞いている。
それなのに何によって一偈を知り、道を得ることができたのか」と質問しました。