投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 6月 8日(水)12時55分30秒   通報
初期段階で誤解を受けながら、最後まで誠実にご投稿を続けて頂きまして誠にありがとうございました。
大変でしたね。
自分も最初は心配になりましたが、投稿を読み続けてゆくうちに、真摯に自分の問題として54年問題に向き合うロマン様の姿に、心から尊敬の念を抱いています。
また、多くの問題提議をして頂き、心から感謝しています。

自分が54年問題の追及を始めたのが、「誰が先生を辞任させたのか」事実を知りたかったからです。
54年問題に関する多くの文証を集め、思索を重ねながら事実を追及する中で、多くの壁にぶつかりました。

その壁の一つが、ロマン様のご投稿の中にありました。

>私は、北條元会長が例え伝聞や書籍に書かれた立派な理事長、弟子であったとしても、最終的に裏切ってしまった事実、変節の中に昭和54年問題の本質があると見ていました。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48796

なぜ、聖教新聞や学会機関誌で讃えられている最高幹部が、池田先生を裏切るのだろうか?

このことについて、正木氏の言葉が自分にとって一番納得できました。
『54年問題の本質とは、師匠をどう見たか、どうとらえたか、弟子の側の問題です。』と。

その言葉は重く、自分自身に常にこのように問いかけるようになったのです。
「自分自身は、今この瞬間、池田先生をどう見ているのか、どのようにとらえているのか?」です。
このことは、全ての学会員に当てはまる問題ですね。

多くの会員が「永遠の師匠」と答えるでしょう。
ならば、「ふるまい」はいかにあるべきか?

多くの方々の意見を聞き、多くの資料を元に思索する中で最終的に掴めたことは、
「池田先生さえ裏切らなければ、怖いものは何もない」ということでした。
先生は変わりません、変わるのは弟子ですね。
当時の最高幹部も、今の最高幹部も、言葉とふるまいの中に「恩」があるか否かを基準に、自分の目で判断するようにしています。

「恩」があるからこそ、先生を裏切れない。
「恩」を忘れた幹部は、時流に流されゆくのみです。
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正木理事長指導(2009年1月)
数年前から池田先生は54年の勇退の問題についてかなりストレートに触れられるように
なりました。皆さんもお気づきだと思います。本来であればきっと活字にはならないだろ
うなと思われるそういう54年問題に触れたご指導が、もう夏の最高協議会そして本部幹部
会のスピーチ等で活字にまでなってまいりました。私は何故、今、先生がこの54年問題に
触れられるのか、そのことの意味を自分なりに解りたい、こう思ってそのことを考え続け
て参りました。(中略)
そう考えていたとき、本年の年頭の最初の随筆で先生は重大なことを述べられました。
54年問題という言葉は一つも出てきません。そして当然ながら勇退という言葉も出て行き
ません。しかし、皆さんも覚えおられると思うんですが、今年最初の随筆に地涌の菩薩に
ついて先生が触れられた箇所があったのであります。
もう一度、皆さん是非読み直していただきたいと思います。何故地涌の菩薩が出現した
か、又地涌の菩薩の出現の意味とは何であったか。それを先生はこう言われております。
「釈尊という大師匠は、彼らが漫然と決めつけていたような、小さな存在ではない。永遠
の生命力を具えた、桁違いの仏なのだ。その師匠の真の実像を、久遠の弟子である地涌の
菩薩たちが電撃的に示していったのである。それは、「師匠はこんなものだ」という思い
上がりや慢心、「自分はこれまで十分、戦ってきた」という惰性や傲りなど……弟子た
ちの抜きがたい胸中の限界を打破した。そして、もっと偉大な、もっと尊高な力に気づか
せ、さらに、元初の師弟の誓いに目を覚まさせていったのだ」(聖教2009年1月6日付
『人間世紀の光』上)
とこうありました。
私はこの随筆を読んだ瞬間に、ある意味でこれこそが54年問題の本質だったのだと気づ
きました。次元はもちろん違いますが、皆さん今の先生のご指導で気づかれたように、あ
の地涌の菩薩の出現の意味はさまざまな多面性があるわけですが、一つ言えることは、そ
れまで声聞の弟子たちは、釈尊のことをこの世で修行を積んで初めて悟りを開いた始成正
覚の仏としかみておりませんでした。しかし、我々の師匠はそんなものではないと地涌の
菩薩は宣言をしました。久遠の本仏なのだということを地涌の菩薩は宣言をしました。
あの54年問題の本質とは、師匠をどう見たか、どうとらえたか、弟子の側の問題です。
先生をただ三番目の会長としかみない、歴代の会長の一人としかみない。そういう弟子の
師匠をとらえる視点。もし池田先生が学会永遠の魂であり永遠の師匠であるととらえたら、
あんな対応になっていただろうか。こう私は思います。まさに年頭最初の随筆で先生が
このことを言われた意味、それはまさに54年問題の本質ではなかったかと。
そう考えれば、もう側近にいた誰かが悪いなどという浅薄なとらえ方で、人の責任に
押しつけて澄ました顔をしているような問題ではない。自分自身もまさにその一人では
ないか、先生が言われる不肖の弟子、師を守りきれなかった弟子の 自分も一人だと猛
反省をして立ち上がらなかったら先生が今指導されている意味がない。私はそう思います。