投稿者:末端婦人Z 投稿日:2016年 5月23日(月)01時04分37秒   通報
確信と楽観で生き抜け「使命に生きる信心」には「一切が大功徳」

正法実践の人に諸天は集まる

一、さて、大聖人が、このお手紙で、”ごほうび”として書きとどめてくださった法門とは何

か___。

この一ヶ月前の11月14日に、鎌倉の八幡宮が炎上するという大事件が起こった。その事件

の本質について、仏法の上から明快に教えてくださったのである。

「されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給うとも、法華経の行者を見ては争=いか

でか其の影をばをしみ給うなり、疑い給う事なかれ・疑い給うことなかれ」(御書1197p)

___したがって、(諸天善神である)八幡大菩薩は、(権力者らの)不正直を憎んで天にの

ぼってしまわれたのである(だから八幡宮が焼けた)。しかし、法華経の行者を見ては、どうし

てその影を映すことをおしまれるであろうか。我が一門は深くこの旨を信じていきなさい。八幡

大菩薩は、ここ(日蓮大聖人の一門のいる所)にいらっしゃるのである。決して疑ってはいけま

せん、疑ってはいけません___と。

悪鬼入其身の大謗法の寺社からは、諸天善神も逃げ去っていく。

大聖人の仰せどおりに仏法を実践する人のもとにこそ、諸天善神は、こぞって集まってくるの

である。おめでとう!(大拍手)

一、この焼けてしまった八幡宮の再建工事は、本来、池上兄弟が担当することになっていた。

池上兄弟は、当時、幕府の作事工事(建物の造営や修繕などの監督官)を務めていた。

しかし、大聖人のもと折伏・弘教に奔走した兄弟はいわれなき讒言によってか、その担当から

はずされてしまう。さぞ悔しく、無念であったにちがいない。

しかし、大聖人は、”かえってよかったのだ”と教えられる。というのは、当時、大聖人は、

近い将来に蒙古の再来襲はまぬかれないとお考えになっていた。

{事実、本抄御執筆の五日前、蒙古は高麗兵船を派遣し、壱岐・対馬を、侵略している}

池上兄弟が、もし八幡宮の再建を担当した場合、なぜ八幡大菩薩が守らないのかと、その蒙古

襲来まで兄弟の責任のようにされてしまいかねない。

ゆえに、一時的に華々しく見えても少しも得にならないと、大聖人は示してくださったのであ

る。

「天の計らい」と一切を前向きに

「かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡大菩薩を造りて候へども八幡大菩薩用いさせ給はぬゆ

へに此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき、然るに天かねて此の事をしろしめすゆ

へに御造営の大番匠=ばんしょうを・はづされたるにやあるらむ、神宮司の事のはずるるも天の

御計らいか」(御書1106p)

____(世間の人々から)「あんな人間の弟子となっている者が、八幡宮を造っても、八幡

大菩薩が用いようとされないゆえに、この日本の国は(蒙古から)攻められるのである」と非難

された時は、どのようにするつもりなのですか。

しかるに、天はかねてこのことを知っておられたがゆえに、あなた方を御造営(工事)の大番

匠(建築のリーダー)からはずされたのではないでしょうか。

また(八幡宮の境内にある)神宮司(神祇を祭るために神社に属して建てられた寺院)の工事

からはずされたのも天の御計らいでありましょうか___と。

”苦労して工事を完成させても、少しもあなた方の得にならない。かえって損をして恥をかく

かもしれない。だから諸天がその役目からはずしてくれたのですよ。喜ぶべきことですよ。守ら

れたのですよ”____と。

大聖人は仏法の真髄から見た考え方を教えられた。

「信心」ある限り、根本は、すべて良い方向へ、良い方向へと向かっているのである。一切の

変化また変化が、すべて「幸福」へ「成仏」への動きとなる。

そう確信し、何ごとも良い方向に、前向きにとって楽観していく。そして、更に勇んで知恵を

働かせ、道を開いていく___そこに、いよいよ大福運がついおてくる。いよいよ守られてい

く。功徳があふれんばかりにわきいずる。___ここに、ひとつの信心の極意がある。

長い目で見れば、信心強き人には一切が功徳なのである(大拍手)。

一、大聖人は池上兄弟に「つねに咲=えめるすがたてにておわすべし」(御書1107p)_

いつもにこやかな姿をしていきなさい__と。

どうか、皆さま方は、目先のことに一喜一憂せず、低次元のことを笑いとばしながら、悠々と

楽しき人生を歩んでいただきたい(大拍手)。