投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 5日(月)20時47分39秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-4-5 【第2総東京最高幹部協議会 ①】

■ 新しい年度が始まった。
フレッシュな新入生も、新入社員も躍動している。
新しい人材群を大いに励まし、育て、伸ばしながら、皆が生まれ変わった息吹で、新しい大前進を開始したい。
焦点は、「青年」である。青年の陣列を築いた分だけ、広宣流布は未来へ発展する。それが方程式である。
青年とともに、青年のために、青年の心で、朗らかに拡大のスクラムを広げ、大勝利の5月3日を堂々と勝ち飾ってまいりたい!(大拍手)

● 勝つための信仰
一、今や、創価学会は、皆様のおかげで、世界190カ国・地域へと拡大した。仏法の人間主義の哲学を基盤とした、平和と文化の大連帯を築くことができた。
世界の一流の指導者や識者が、創価の思想・哲学に希望を見いだし、絶大な期待を寄せてくださっていることは、ご承知の通りである。
いよいよ、これからが大事な時である。私はあらゆる分野で総仕上げをしていく決心である。
仏法は勝負である。
人生も勝負である。
断じて勝たねばならない。勝たなければ不幸である。
ゆえに世界中、どの社会でも」どの家庭でも、皆、頑張っている。戦っている。
勝つための信仰なのである。
我々の前進は、自分自身の生命を変革しながら、他者をも幸福にしていく戦いである。
この自他ともの「人間革命」の道にこそ、絶対的な幸福があり、絶対的な勝利がある。

■ 一、広宣流布は「人」で決まる。
リーダーが真剣で一生懸命であれば、全体が生き生きと発展の方向へ進む。
反対に偉ぶって、自分は動かないで、人にやらせるばかりでは、歓喜は生まれない。皆、疲れるだけである。
「善き人は、自分の身に何が起きるかということよりも、自分のなすべきことをなすことに、より心を配る」(同)
これも、トルストイの言葉である。
たとえ、状況がどうあれ、私は私自身のなすべきことを断じてなす!──これが、「勝ち抜くリーダー」の心である。

■ 一、きょうは、新時代の創価学会を建設していくために、最も基本であり、最も根幹となる4点を確認しておきたい。
◆第一に「祈り」。
◆第二に「行動」。
◆第三に「異体同心」。
◆第四に「師弟不二」。
これこそが、無上の人生を勝ち開いていく力である。

◆◆ 絶対勝利の4原則「祈り」「行動」「異体同心」「師弟不二」 ◆◆

● 「祈り」が根本
一、まず、第一に「祈り」である。
正しき祈りほど、強いものはない。
「祈りとして叶わざるなし」の信心である。
「法華経に勝る兵法なし」の妙法である。
いかなる戦いも、まず「祈ること」から始まる。そして「祈り抜くこと」である。「祈り切ること」だ。
この素晴らしき模範を示してこられたのが、わが第2総東京の婦人部の皆様方である。
まことに有名な「祈祷抄」の一節であるが、あらためて大聖人の御確信を深く拝していきたい。
「たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空を結びつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことはないのである」(御書1351ページ、通解)
ここで大事なのは、「法華経の行者の祈り」との仰せである。
「法華経の行者」とは、いうまでもなく、大難を越えて妙法を行じ、正しく弘めゆく人のことを指す。
現代でいえば、日蓮大聖人に直結して広宣流布を進めゆく私たち創価学会員である。
創価の父・牧口先生は、「行者」と「信者」を厳格に立て分けておられた。
──自分だけの利益を願い、三障四魔との戦いのない者は、ただの「信者」にすぎない。広宣流布のための菩薩行に励み、三障四魔と戦っていく人こそ、真の「行者」であり、これこそ誉れの学会員である──と教えられたのである。

妙法は、大宇宙の根源の法則である。何よりも大切な妙法を唱え、妙法を行じ、妙法のために戦う人の祈りは、まっすぐに大宇宙の根本の律動に合致していくのである。
したがって祈りが叶わないわけがない。諸天善神も、仏菩薩も、必ず必ず護るのである。

■ 一、大事なのは、広宣流布のための祈りである。
すなわち、広宣流布を成し遂げゆく創価学会を護り、強く勝ち栄えさせていくための「誓願」の祈りである。
妙法の偉大さを、わが人生で実証しゆく「仏法勝負」の祈りである。
また、広宣流布を阻む強敵を打ち破りゆく「破邪顕正」の祈りがなければならない。
御本尊には「若悩乱者頭破七分(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)」と峻厳にお認めである。苦しみの罪果から救うためにも、断じて邪悪を打ち砕くのだ。
そして、わが同志が一人ももれなく幸福にと願う、「慈悲と勇気」の祈りを貫くのだ。
御本尊には「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」ともお認めである。妙法の功徳は、あまりにも大きい。
御書には「法華経を信ずる人の現世の祈りは必ず叶い、後に善処に生ずることは疑いないことである」(同1352ページ、通解)と記されている。
広宣流布を断行しゆく、わが創価学会員の祈りこそ、「法華経を信ずる人」の祈りである。そこに、「現当二世」にわたる永遠の幸福境涯が築かれていくことは絶対に間違いない。

■ 一、御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同1124ページ、通解)と、絶対の御約束である。
法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
「南無妙法蓮華経は師子吼の和し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(同ページ)とも仰せである。病魔をはじめ、あらゆる魔を打ち破り、退散させていく根源の響きこそ、題目の師子吼なのである。
御金言には、こうも記されている。
「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(同557ページ、通解)
深遠なる「一念三千」の法理にのっとって、題目は、あらゆる人々の生命に仏性を呼び覚ます。

わが国土に、仏天の加護の働きをみなぎらせていく原動力である。
さらに大聖人は、教えてくださっている。
「題目を唱えたてまつる音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目の『大音』に入れて唱えたてまつるゆえに、宇宙の中で到達しない所はない。
例えば、小さな音声でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである」(同808ページ、通解)
題目の力が、どれほど偉大であるか。それは、大宇宙を動かしていく究極の力である。題目の音律は、わが生命の仏性を脈動させながら、大宇宙へと轟きわたっていく。
題目を朗々と唱えゆく人は、わが生命力を満々とわき立たせながら、あの友、この友の生命を変え、そして、わが地域、わが社会、わが世界を、平和へ、繁栄へと向かわせていけるのである。

■ 婦人部が一番、祈っている。婦人部が一番、戦っている。大事なのは婦人部の皆様である。
この尊き方々に対して、いかなる男性も、威張ってはならない。どこまでも尊敬し、感謝していかねばならない。
ここに、これからの学会が、さらに栄えていけるかどうかの重大な急所がある。
リーダーが、第一線で最も戦っている同志を大切にすれば、学会は、ますます伸びていく。それでこそ、学会は光る。
反対に、立場や肩書にへつらい、虚名ばかりを追えば、必ず失敗する。陰険な悪い人間に威張られて、友の幸せが踏みにじられることがあってはならない。
ともあれ、女性を下に見るような人間は、リーダー失格である。この一点を徹底するしかない。
婦人部・女子部こそ、希望の太陽なのだ。
大聖人御自身が、女性の門下を最大に讃え、大切にしておられた。
仏法は、平和と幸福のための戦いである。戦っていない人間の声には、重みがない。
広布のために戦ってくださっている方々の切実な声、真剣な声に、誠実に耳を傾ける。ただちに応える。実行する。
ここに、万年の発展への道があることを、絶対に忘れてはならない。
世界一の婦人部・女子部を最大に尊重し、これまで以上に女性が輝く広布第2幕を、晴れ晴れと築いてまいりたい(大拍手)。

■ 一、戸田先生は、よく語っておられた。
「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が三つある。一つ、題目。二つ、題目。三つ、題目である」
「題目を唱え奉ることが、仏の境涯を開発することである」
「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
題目の力用は、万人が直ちに実感し、そして体得できる仏法の真髄なのである。
時代は深く病んでいる。この最極の大良薬を、一人でも多くの友に伝え広めていきたい。
さらに、戸田先生は強調しておられた。
「先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。これが、学会の目的である」
ともあれ、誠実に友の幸福を祈る人は、自分自身の生命が歓喜に満ちてくる。
破折の剣をもって祈る人は、正義の心が躍動してくる。
広宣流布の大願に立って祈る人は、境涯が大きく広がっていく。
そして、師弟共戦の誓いをもって祈る人は、師と同じ大生命力をわき立たせゆくことができる。
「日々、題目をあげ、信心強く生き抜いていることは、毎日、ダイヤモンドの注射を生命に打っているようなものだ」
これも、戸田先生の指導である。
白馬がさっそうと大草原を駆けゆくような、凛然たる祈りで、我らは、すべてを強く強く勝ち開いてまいりたい(大拍手)。

●心とは幸福への行動
一、組織を発展させていく要諦は、何か。
それは中心者の一念である。どこまでも「師弟の精神」を根本に、学会とともに、まっすぐに生き抜くことだ。
そして、大事なのは真剣さだ。行動である。
リーダーが必死に祈り、動いている組織は発展する。反対に、中心者が内では威張ってばかりいて、外に打って出ないような組織は発展できない。
自らが率先して、人と会っていく。新しい友情を結んでいく。そして、学会の偉大さ、師弟の素晴らしさを堂々と語り抜いていく。それでこそ、新しい時代は切り開かれていくのだ。
中心者が本当に真剣に戦って、充実した一日一日を送っていれば、周りにも勢いが伝わる。歓喜の波動が広がっていく。皆も幸せになる。
組織といっても、中心者で決まる。この一点をあらためて訴えておきたい。
もちろん「真剣」といっても、怖い顔ばかりしていたら、皆、逃げていってしまう。心には闘志をたぎらせながら、友に会うときはニッコリと微笑んで、温かく励ましていくことだ。
ともあれ、信心とは「幸福への行動」である。仏法の生命は、どこまでも「行動」の中にこそあるのだ。
絶対勝利の4原則の第二は「行動」である。

■ 行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか──そこに本当の信心が現れるのである。
求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。
「心こそ大切」(同1192ページ)である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。
役職や立場ではない。「行動」という姿そのものに、その人の信心の厚薄が端的に現れるといえる。
広宣流布のために現実に行動している人こそが最も尊いのだ。その人を大切にすることを、リーダーは決して忘れてはならない。

【第2総東京最高幹部協議会 ②】に続く