投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 1日(木)05時02分20秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-2-6 【新時代 第15回 本部幹部会】

■ 一、寒いなか、大変にご苦労さまです。
とくに海外の方は、風邪などひかないように気をつけていただきたい。
初めに、アメリカ第35代大統領と言えば──。
〈「ケネディです」と会場から答えが〉
その通り、よく知ってるね。
アメリカ第35代ケネディ大統領いわく。
「人間のさまざまな美徳の中で最もすばらしいもの──勇気だ」(宮本喜一訳『勇気ある人々』英治出版)と。
勇気──これこそ、ケネディ大統領が常に大事にしていたものである。
そして大統領は、勇気を持っている人、勇気を大切にしている人、そうした人材を一生懸命に探した。
勇気ある者に学び、勇気ある者を模範とせよ、それ以外は必要ないと。
私も、勇者を求めたケネディ大統領の気持ちがよく分かる。
勇気がある者には、信念がある。信念がある者は、信頼される。信頼される者には、大勢の友がついてくる。だから勝てるのである。
勇気の人は、信念の人であり、勝利の人である。

●勇気と慈悲は表裏一体
一戸田先生も、「勇気」を叫ばれた。
そして、仏法では慈悲を説くが、慈悲といっても、表は勇気である。勇気をもって、行動に移してこそ、本当の慈悲なのである。勇気と慈悲は表裏一体である──このように、厳しく、先生は言われていた。
たとえば、重い荷物を持っている人に、「私が持ってあげましょう」と言うのは勇気が必要である。
私も若いころ、蒲田駅で年配の女性が買い出しの大きな荷物をかかえているのを見て、「代わりに持ちましょうか」と言ったことがある。
その人も喜んで、持ってあげたのはよかったが、その荷物の重いこと重いこと(笑い)。
その人は、森ケ崎のわが家の近くに住んでいた。
へとへとになって運んであげて、お礼は「ありがとう」の一言(爆笑)。
こういうこともあるけれど、ともかく、勇気を出して行動してこそ、慈悲が形となって現れるのだ。
勇気のない、実践のない慈悲は、本当の慈悲ではない。
せっかく心の中で思っても、何もしない、何も言わないのでは、慈悲とは言えないのである。
また、学会が嘘八百の悪口を言われれば、「それは間違っています」「訂正してください」と鋭く打ち返していく。それができるのが勇気である。
大事な時に声を発しない。何も言えない。黙る。それは勇気がない証拠だ。
間違っていることは、きっぱりと破折する。
それは一見、厳しい態度に見えるかもしれないが、はっきりと正邪を教えていくことは、結局、相手にとって慈悲となるのである。
いざというときに、勇気を出せる人が、人間として一番尊い。勇気こそ仏法の真髄である。人間の真髄である。
日ごろ威張っている男性にかぎって、いざとなると臆病になり、こそこそ逃げ出す場合がある。
その点、女性のほうが、いざというときに腹が据わっていて、勇気があると言う人もいる。その意見に共感できる方も多いであろう。

●創価の師弟の勝利の証しを
一、35年前、イギリスの大歴史家トインビー博士との対談を終える際、博士は私に言われた。
「トインビー大学の最優等生であるあなたは、必ず将来、私以上に世界中から名誉称号を贈られるでしょう」と。
この言葉が現実になるとは思いもしなかったが、今、私が、世界の大学・学術機関から拝受した名誉学術称号は「229」となった(大拍手)。
〈さらに、決定通知が届いている大学等を合わせると、「248」となる。また、このほど発表されたロシア連邦政府からの「友好勲章」も含め世界各国からの国家勲章が「27」、世界の各都市からの名誉市民の称号が「550」を超えるなど、実質的に世界第一の栄誉が名誉会長に贈られている〉
すべては皆様方のお力であり、私は、全同志の皆様を代表してお受けしているにすぎないことは、これまでも申し上げてきた通りである。
ただ、かつて戸田先生が、世界最高の知性の牧口先生が獄死させられたことに激怒され、火を吐くように、こう私に厳命されたことがある。
「迫害のなか、正義のために戦い抜いて、真実の『知性の勝利』の足跡を残せ!」「牧口先生は教育者であった。俺も教育者だ。創価学会は教育の世界だ。その根幹に宗教があり、仏法があるのだ」と。
第3代の私が、わが同志とともに拝受してきた世界からの栄誉は、初代・牧口先生、そして第2代・戸田先生の「正義と知性の勝利」の不滅の証しであると、私は声を大にして宣言したいのである(大拍手)。

●女性を大事にそこに発展が
一、私は今、アルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士と、対談を進めている。(東洋哲学研究所発行の『東洋学術研究』で連載中)
博士は、女性の偉大さを強調されている。先見性に富んだ、立派な方である。
対談でも言われていた。
「平和の文化を構築し、人々の相互理解を築くことが必要です」
「二十一世紀において、社会を深く変革していくためには、女性の役割が決定的なのです」
その通りである。男女の平等を志向された大聖人のお心とも、深く通じ合う言葉である。
わが学会も、勇気をもって、一番、法を広めてきたのは、女性ではないだろうか。
そうした偉大な女性を大事にする。そこに徹してきたからこそ、学会は、正しく発展の道を歩んできたのである。
かりにも、女性を軽く見たり、ふざけ半分で、不愉快な思いをさせるようなことがあっては、絶対にならない。とんでもないことだ。
御書には「男女はきらふべからず」(1360ページ)と仰せである。
女性を尊重することは、人の生き方としても、正しい道である。
広布の女性を断じて守る。永遠に、そうした創価学会でいきたい。〈「ハイ!」と賛同の声が〉
女性は、返事しなくて結構です(笑い)。しかし、女性にも、男性と同じ権利がある。だから、全員で決議しよう(笑い、大拍手)。

●三類の強敵と戦う誉れ
一、2月は、日蓮大聖人が、流罪中の佐渡で、「関目抄」を完成された月である。
それは、寒風が吹きすさび、雪が降り積もり、八寒地獄を感ずる極限のなかで、執筆なされた。
こうしたことを思えば、いくら寒いといっても、暖房が整っている現代は恵まれている。
過酷な環境のなかで、大聖人は正義の闘争を展開された。
「開目抄」で、蓮祖は仰せになられた。
「法華経の行者がいれば、必ず三類の強敵がある。三類の強敵は」すでにいる。法華経の行者は一体、だれであろうか。探し求めて師とすべきである」(御書230ページ、通解)
いうまでもなく、大聖人の御事であられる。
そして、この仰せのままに、「三類の強敵」と戦い、世界190カ国・地域に「太陽の大仏法」を私めたのが、三代にわたる創価の師弟である。
この師弟の大道を勇み進んで、「永遠の幸福」と「世界の平和」へ、関目、すなわち人類の目を開いてまいりたい(大拍手)。

●「座談会で広宣流布はできる」
一、次に、きょうは「座談会」の重要性を再確認しておきたい。
拡大の力は、一にも、二にも、座談会だ。しかし、大幹部でも座談会に出ていない場合がある。それではいけない。
座談会で広宣流布はできるのだ。これは戸田先生の遺言であった。
日蓮大聖人が正法を説き始められたのは、「少少の大衆」(御書894ページ)の会座であった。ここで初めて、正義の師子吼が轟いた。
小さな集い──ここに原点がある。座談会は、ゆっくりと座って語り合う。そうでなければ、本当のことは友の心に入らないものた。
牧口先生は、だれよりも早く座談会の会場に到着された。座談会に行って話すのが、大好きであられた。教育者であり、真剣で、まじめな先生であられた。
リーダーは、座談会で皆が集まった後に、偉ぶって入ってくるようではいけない。まず最高幹部が早めに行って、ていねにあいさつし、温かく友を迎えるのだ。
生意気で偉ぶっているのは、信心ある者の姿ではない。偉ぶらない人間が本当に偉い。それが真の信心の世界である。
牧口先生は、まず、会場を提供してくださるご家族に、笑顔であいさつをされ、深く感謝なされた。
大切な他人の家をお借りするのだから、最大の礼儀を尽くすのは、当然である。感謝の心を具体的に伝えることだ。
各家庭には、それぞれの状況がある。そのなかで会場を提供してくださっている。幹部がツンとして、まるで自分の家のように威張るようであれば、和合の学会を壊してしまう。喜んで迎えていただけるよう、礼儀正しくあらねばならない。
会場の掃除や片付けを申し出るなど、自分の家以上に、こまやかに心を配ることである。
牧口先生は、その家の方がお茶を出そうとすると、「お茶は結構ですから、こちらへ来てお話をいたしませんか」と声をかけ、気をつかわせないようにされた。
ちょっとした、小さなことが大事なのである。
たとえば、父親が会社で嫌な思いをして家に帰った時も、娘がニコツと笑顔で迎えたら、もうそれだけで元気になる(笑い)。それが娘から「お父さん、もう帰ってきたの」(笑い)と言われ、そのうえ妻からは「ご飯は、まだできていませんよ」(爆笑)。これではかわいそうである。
温かな振る舞いは、相手を思いやる心から生まれるのである。

■ 一、戸田先生は、ある座談会の参加者に、親しく呼びかけられた。
「今日は、ひとつ楽しくやろう。さあ、みんなこっちへきなさい」
そして「私の話は芸術だよ。よく聞いておきなさい」と声をかけていかれた。まさに先生の話は汲めども尽きぬ智慧とユーモアにあふれていた。
また、もしも最初から「私の話は仏法だよ」と言われたら、来た人も、嫌になってしまったかもしれない。学会の会合に仏法の話が出るのは、決まりきっている。
「折伏だ」「広宣流布だ」と、いつも同じ言い方ばかりだと、心に残らない場合もあろう。
あえて先生は「芸術だよ」「楽しくやろう」と言われた。そうやって皆の心を解きほぐし、大きく引きつけていかれたのである。
さらに、ある座談会で戸田先生は、その会場のお宅のお子さんで、病気と闘う青年を、抱きかかえるように激励された。
「体を大事にしなさい。体が大事であれば、自分の信心を大事にすることだ。題目を唱えきりなさい。きっとよい結果があらわれるよ」
悩んでいる人がいれば、全魂を込めて、真心から励ますことだ。
幹部は決して威張ってはいけない。よく気をつけないと、だんだん慢心に陥ってしまう。
皆を心から敬い、仏のごとく迎えるのだ。振る舞いが大事である。
世界中のリーダーの皆さん、頼みます!〈「ハイ」と大きな返事が〉

●青年よ座談会に勇んで集い合え
一、戸田先生は、出席した座談会で青年部が活躍している姿を見ると、心から喜ばれた。
「ここの座談会は青年が集まる座談会だ! うれしい、うれしい!」
青年がいれば、皆がうれしい。多宝の友も、元気になる。
懸命に戦う青年ほど、美しいものはない。地域の方々にまで、さわやかな希望が広がる。
青年部は「わが地域の座談会に、勇んで集い合っていただきたい。婦人部も、壮年部も、応援をお願いします!
さあ新時代の2月闘争だ。青年部が座談会を軸にして、広宣流布を拡大する──戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
そして3・16「広宣流布記念の日」の50周年を、新しき師子の陣列で、晴れ晴れと迎えていただきたい。

■ 一、私は戸田先生の指導を、きちんと記録し、残してきた。
先生は強調された。
「座談会をやって、二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
戸田先生が拡大の中心軸に据えられたのは、座談会であった。
「われわれは最初、座談会をやったときは、一人か二人、あるいは三人のため、遠いところまで出かけたものである。その原点へもどって、まじめに、真剣に、会員を育ててもらいたい」
今年、座談会に出た人は?〈「ハイ」と全員から元気な返事が〉
座談会に行かなくなったら、もう折伏の戦列から離れてしまっている。
戦後、出獄された戸田先生は、「学会の再建にあたっては、座談会の復活が根本である」と一貫して訴えていかれた。
そして、こう言われていた。
「百万言の耳当たりの良い理静よりも、一つの座談会の実践のほうが、
はるかに広宣流布の歯車を回すことになる」
多忙であっても、できる限り時間をこじあけて座談会に集い、広布の息吹を呼吸していくのだ。
「本当に正しい折伏の場は、創価学会の座談会以外に絶対にない」
「大聖人の仏法の座談会である。慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ」
この先生の叫びを心に刻みたい。

● 一、座談会について、戸田先生は、こうも語られていた。
「創価学会の妙法流布は、海外であっても、どこへ行っても、最後まで、座談会中心の個人折伏が原則である」
その通りだ。心が通い合うのが座談会である。
先生は、「座談会は、幹部の”独演会”ではいけない。”全員参加”を忘れてはならない」と厳しかった。
「『座談会に、あんな幹部に来てもらってはたまったものではない』とか、『幹部づらして、あんなうるさいのが来ては困る』とか、そんな苦情がくる。幹部は、自分が好かれているように思っているが、案外きらわれている場合もあるから気をつけよ」
全リーダーが肝に銘ずべきご指導である。
さらに先生は、座談会の会場の意義について、こう教えられた。
「拠点は重要な信心の『城』である。私たちがお世話になっている、この『城』は大切な広宣流布の発信地であり、人材錬磨の偉大なる『城』である」
広布の法城を提供してくださる尊き皆様に心から感謝し、この2月も、伝統の座談会から、人材・拡大の大波を起こしてまいりたい(大拍手)。

●恩を忘れぬ人に
一、ここで、『三国志』に登場する諸葛孔明の信念を紹介したい。
「貴ばるるも驕らず」──自分が尊重されても傲り高ぶらない。
特に最高幹部は、常に自らに問いかけねばならない。
「委ねらるるも専らにせず」──権限を委ねられても、自分一人で勝手気ままにはしない。
すべて、周りとよく相談することである。
「扶けらるるも隠さず」──人から助けられたことを隠し立てしない。その恩義を忘れない。
一女子部員、一婦入部員が学会を守ってくれたことが、今までもたくさんあった。私は、大事な方々の恩を絶対に忘れない。
「免ぜらるるも懼(おそ)れず」──人事で交代があっても、驚かず恐れない。学会の人事でいえば、これまでの自分の役職に後輩が就く場合などが考えられよう。いい人材を、どんどん伸ばしていく。後輩の成長を喜んでいく心が大切である。
そして、これらの条件を備えた良将の行動は、「壁の汚れざるがごとし」──宝玉が何ものにも汚されぬように、いつも光り輝いているというのである。
さらに、孔明の言葉に学びたい。皆に、諸葛孔明のような名将になってほしいからである。
「指導者の道は、多くの人の声を聞くことにある。皆の意見や報告を、きちんと聞くことだ。皆の目を自分の目とし、皆の耳を自分の耳としていくのである。
多くの人の声を尊重してこそ、智者となることができる。
そうでなければ、やがて誰も正しい意見を言わなくなる。その結果、邪な人間がはびこり、国の害となってしまうのである」
非常に重要な話だ。
また、「驕れる者はみずから墓穴を掘り、自分勝手な者は禍の種をまく」ともある(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)。
かつて、学会にもこの言葉のように、傲慢ゆえに学会員を苦しめた者がいた。最高幹部は、よくよく心していきたい。

■ 志を同じくする「同志」であれば、たとえ少々ケンカをしたとしても、また一緒に前進していくことができる。
妙法を唱え、広宣流布へ生きる学会の同志は一体である。意見や性格の相違があったとしても、信心を根本に、異体同心の団結で進んでいくのだ。
しかし、本当に悪い人間は別である。学会を破壊する悪人とは、断じて戦わねばならない。

●命をかけて!
一、戸田先生は烈々と言われた。
「(昭和20年)1月8日に、11月の(牧口)先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」
「命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか」
牧口先生の獄死は、一生忘れない! 生涯をかけて仇を討つ!──戸田先生は泣きながら、こう誓われた。
そして、牧口先生の名を全世界に残す! 仏教史上に残す! そのために命を捨てて、牧口先生の弟子としての本望を遂げてみせると叫んだのである。
これが牧口先生と戸田先生である。本当の師弟だ。師の正義の仇討ちのためにすべてをかける──今、この覚悟を持った人間が、どれくらい、いるだろうか。
戸田先生は、命がけであったから、だれに悪口を言われようが、脅されようが、非難されようが、恐れなかった。
私も同じだ。戸田先生のお心が、私にはよくわかる。
皆さんには、この師弟の心を知っていただきたい。頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉

■一、朗らかに進もう!
御書には「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(1124ページ)と仰せだ。師子は、何があっても悠然としている。
皆さんは、何があっても、ニコッと微笑みながら、「私が行けば、大丈夫だ」と、すべてに打ち勝っていく ── そういう「師子」であっていただきたい。
〈ここで名誉会長の導師で題目を唱えた〉
皆様の健闘を祈って会合を終わります。
きょうは長時間、本当にありがとう! 海外の方、特にご苦労さまでした。
どうか風邪をひかれませんように!
春は、もうすぐだ。
帰ったら全同志に、よろしくお伝えください。ありがとう!(大拍手)
(2008・2・6)

※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。