投稿者:太ちゃん@まとめコメント 投稿日:2016年 8月21日(日)17時36分9秒   通報 編集済
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E3%81%A8%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%90%88%E6%84%8F%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%AE%9A
日本共産党と創価学会との合意についての協定 – Wikipediaより

日本共産党と創価学会との合意についての協定(にほんきょうさんとうとそうかがっかいとのごういについてのきょうてい)とは日本共産党と創価学会との間で1974年に調印され1975年に発表された協定。略称は創共協定、または共創協定。

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1970年代、日本共産党と創価学会とは互いに支持層が重なることもあり、20年に渡り、選挙活動の中で激しいビラ合戦、非難合戦を行うなど対立が続いて来た。

1974年7月、第10回参議院議員通常選挙の直後、創価学会文芸部部長が、日本共産党の支持者であり創価学会会長池田大作と対談をしたこともある作家松本清張の自宅を訪問。その際、松本がトップ会談を提案する。

同年10月28日に創価学会総務野崎勲と日本共産党常任幹部会委員上田耕一郎が予備会談を行う。相互理解や敵視政策の撤廃などを骨子とする旨の協定が調印された。協定の期間は10年とされ、協議によって更新されるとした。その後、日本共産党委員長宮本顕治と創価学会会長池田大作が2度トップ対談を行った。

協定は公明党と共産党の政党間で結ばれたのではなく、創価学会が公明党の頭越しに、選挙戦で直接対峙する共産党との間に結んだものである。

1975年7月27日に協定は公表された。しかし、共産党との協定が今後の政党間の枠組みに影響を与えると考えた公明党が反発。公安や警察が警戒して動き出し、自民党の中からも巻き返しの動きが出た。創価学会も態度を変え、協定は公表と同時にほぼ死文化した。

1980年、創価学会の顧問弁護士山崎正友を中心とした宮本顕治宅盗聴事件が発覚して両者の対立は決定的となり、協定の更新は行われなかった。
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ウィキペディアより以上

以下、各コメントより抜粋
(僕の方で見やすく改行を入れたり逆に削除してるところもあります)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/42072
草創期
学会と共産党はあちこちでぶつかっていた
激しい中傷合戦をやりあっていた

自分の両親は早くから地域活動をしていた
戸田先生の御指導
学会の中ではしんがりでも、外に出ると強い

学会員が外で信頼されなければ、会員を守れないと懸命に地域活動していた

地域の会合と学会の会合が重なり、学会の会合を欠席すると、
幹部からあの人は退転したと言われた

地域に行くと孤立無援
当時共産党は地域活動に力入れ、そこから議員を輩出していた
その為に地域の長になることを目指し、地域長を攻撃し、引きづり降ろし、自分達から長になる人を作っていた

学会員の両親が長をしていたので、共産党にとっては最大の目の上のタンコブ
いつもやり玉に上げられ、血祭りにしようとしていた
一体どこにいたのか?と思うほど、あちこちから、共産党員が集まり、50人近い人が我が家に押しかけて来ては、猛攻撃、猛批判していた

学会員は勿論、幹部も誰も助けることが出来ない
否!助けようともしない中、孤立無援で、戦い、町内が共産党に乗っとられることを必死で阻止していた

そんな時、先生が創共協定を結ばれた
会員が嫌な思いをすることがないようにと思って下さり
批判の火だるまを浴びながら、先生が創共協定を結んで下さった
正に晴天霹靂
驚いた

そして、以来、我が家に共産党が大挙して押しかけてくることがなくなった

先生が全身に火の粉を浴びながら、会員を守って下さったおかげと感謝した

学会の会長は、健気な会員を守る為にいる

選挙になり、各地で、
もし、会員と共産党がぶつかるようなことが起きた時、
会員が困まることがないようにするのが、会長の仕事!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/42073
創共協定を締結した理由

池田先生
共産党との無用の摩擦が生じ、選挙の度に学会員が過度の政争の手段にしてはならない

戦争中
学会の初代、二代共に思想犯として獄に繋がれた
そして、共産党も、同じ思想犯として獄に
つないだ側は神道を中心とする国家主義

創共協定に1番驚き、警戒したのは公安と警察だったと

創共協定を1番警戒した側に擦り寄り、共産党叩きを煽る原田執行部

学会と共産党が争い、漁夫の利を得る人間は?
日本会議、阿部政権の高笑いが聞こえる

原田会長
あなたは完全に舵取り失敗している

創共協定を速攻骨抜きにしたのは秋谷さん
あなたの師匠は、やっぱり秋谷さんです

http://6027.teacup.com/situation/bbs/47147
第一次宗門問題から第二次宗門問題発端までの学会批判週刊誌資料を物置から出しましたので注釈入れながらアップします。
ソースは、山友・原島と言うのが主流だったと言われていましたが、実は空き家・矢野から内藤国雄に流れて池田個人攻撃を主眼とされていたが後年、藤原行正(元東京都議)発言で明らかになりました。空き家の嫉妬、創共協定に対する矢野の暗躍(協定潰し)が分かり易い資料です。

酒乱信頼ゼロの元教学部長の原島嵩が学会資料室から無断で資料を持ち出したりする事は不可能であり、酒が飲めない金の亡者(墓苑土地転がし・シーホース設立・多額負債)の元学会顧問弁護士の山崎正友が、大した金にならない資料を週刊誌に売り込むのも合点の無い話でした。かなり、無理の有る作り話です(-_-)

つまり、週刊誌・内藤国雄ルートに池田大作批判の情報をリークしたのは空き家・矢野、そして怨念を抱き続けていた藤原グループだった訳です。
この件が明らかになるのが、2006年以降です。先生が本幹で怒り始める・・・私も整理している最中、かなり謎解きのようで大変でした。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/13804
矢野絢也氏が和解前に、こんな証言を。

学会本部近くの料亭『光亭』に竹入氏と二人、呼び出されて池田氏と会食したときのことは忘れることができない。

 「会長を辞めることになったんだよ」

 池田氏はボソッと言った。私もなんとなく不穏な空気を感じてはいたが、まさか事態がそこまで追い詰められていたとは知らず、飛び上がらんばかりに驚いた。

 「四人からそれしかない、と言われてな。次の会長は北条になる」

 四人というのは原田稔(のちに第六代会長)氏、山崎正友氏、原島嵩氏、そして創共協定の野崎氏である。事態収拾のために宗門と打ち合わせ、この四人はこうなったら先生に会長をご勇退いただくしかない、と進言したという。

 「北条も秋谷も知らん顔をしているだけだ」
 「会長は辞めるが、俺は絶対に負けない」
 「俺は間違ってない」

 そう言いつつ、寂しそうだった。これほど落ち込んだ池田氏を見るのは初めてだった。

(矢野絢也著『私の愛した池田大作』226頁~227頁)
http://firestorage.jp/download/dd11e7914f882ef9e942cc323fd56a75212148d7

先生に勇退を迫った四人がだれであったのか、ここに明確に記されている。
矢野の手帳に、ちゃんとこの日の懇談の記録が残っているんだろうな。

真っ先に、山友や原島より先に名前が挙がっているのが、原田稔現会長。
第4代、第5代が知らん顔だったというから、第6代のほうが辞任には積極的だったということか。

↑の補足と見解
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15124
http://6027.teacup.com/situation/bbs/18059
池田門下生でありながら54年問題で先生を辞任に追い込んだ幹部と同等。

>「四人というのは原田稔氏、山崎正友氏、原島嵩氏、そして創共協定の野崎氏である。
事態収拾のために宗門と打ち合わせ、この四人はこうなったら先生に会長をご勇退いただくしかない、と進言したという」「事態収拾のために宗門と打ち合わせ」とあるでしょう。
この宗門との交渉に、ここで挙がっている原田さんら四人が入っているのは有名なこと。< 2010年6月以前なら、池田先生の元、原田会長中心に広宣流布を進めても安心できました。 いざと言うとき、原田会長に先生のご叱責があったからです。 それは本幹参加している方々がご存知なはず。 しかし今は違います。 創価学会の権力を握った原田会長、執行部が暴走しています。 僭聖増上慢は常に権力側に出現します。 天魔は権力者に入り込みます。 ●情報群 http://6027.teacup.com/situation/bbs/37669 あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ 夕闇せまりて 一人 歩むを ご存知の通り、昭和54年4月24日に池田先生が詠まれたお歌である。 このお歌に込められた万感の想いは勇退などと生易しい話しでないはずだ。 会長を追われたから悔しいというそんな単純な話でないことも容易に理解できよう。 学会を分断し破壊する魔軍の策謀、師匠を守ることが学会を守る。 こんな当たり前のことが出来ない位に複雑な事情があった。 その策謀が見破れなかった。 宗門、学会内の反逆者だけではない。国家権力が学会破壊を仕組んできていた。 竹中労さんのルポに明確に書いてある。 民衆に根を張る創価学会・公明党を権力は恐れ懐柔しようとしたのだ。 時の権力が裏には居たのだ。ヤマトモはそうした勢力を利用し、また利用された。 何故、公明党は自民党に擦り寄り変質したのか。 政治権力側の意図から分析すれば、54年問題の背景にあるものが見えてくる。 今、起きている公明党の変質の理由はそこにあるのだ。 権力者は池田先生を攻撃し学会を取り込もうとした。 政治側の角度から見れば、54年問題とは師弟を分断することで、学会の力を骨抜きにする策謀だった。 民衆勢力は池田先生と会員という師弟の絆にあることを周知していたからだ。 当時の執行部は政治権力の黒い策謀、背景を見破れなかった。 だから学会は敗北したのだ。 そして、骨抜きにされた学会は今も権力の側に利用され続けている。いや益々利用されているのだ。 今の執行部は上手く自分達はやれていると勘違いしている。 金と権力の魔性に食い破られ、学会を権力に売り渡しているとも言えよう。 国家権力と戦え。池田先生はそう指導されてきた。 池田先生が公明党を作り、公明党を支援してきた意味は何か。 それは、ある一面から見れば、宗教が国家権力に利用された、戦前の日本に戻ったら広宣流布は出来ないからだ。 信教の自由。基本的人権を守る為でもあったのだ。 健全な社会を、日本の未来を確かなものにする為の戦いでもあったのだ。 http://6027.teacup.com/situation/bbs/39245 反共産党、反創共協定と自民党との連立は表裏一体である。 裏側の事情があるのです。詳しくはいずれ述べます。 54年問題の主要な登場人物を考えてみてください。 秋谷、矢野等の繋がりです。 ●補足&解説情報群 http://6027.teacup.com/situation/bbs/24947 http://6027.teacup.com/situation/bbs/29001 http://6027.teacup.com/situation/bbs/30178 http://6027.teacup.com/situation/bbs/47577 http://6027.teacup.com/situation/bbs/47621 http://6027.teacup.com/situation/bbs/47705 http://6027.teacup.com/situation/bbs/47871 http://6027.teacup.com/situation/bbs/49775 http://6027.teacup.com/situation/bbs/50376 ●予備知識群 http://6027.teacup.com/situation/bbs/18059 http://6027.teacup.com/situation/bbs/25002 http://6027.teacup.com/situation/bbs/26536 http://6027.teacup.com/situation/bbs/47677 http://6027.teacup.com/situation/bbs/48604 http://www.geocities.jp/bosatu2015/