投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月21日(日)09時20分56秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-9-30 【全国代表協議会】

■ 一、毎日ご苦労さま! いつもありがとう!
 全同志の皆さんのおかげで、創価学会は隆々と発展している。
 これからも日本、世界の各地に、立派な会館を建築していく。堂々たる平和と文化の大城を築いていくつもりである。
 世界広布のために! 日本の同志の大勝利のために!(大拍手)
 何よりも重要な戦いは、広宣流布の人材を育てることだ。新任のリーダーの皆さんは、自分の時代に、堂々たる勝利の証しを、必ずや打ち立てていただきたい。
 今、世界が、創価の人間主義を求めている。世界中で、我らの同志が、師弟の心を燃やして戦っている。そういう時代に入った。
 一、一切の原点は、師弟の「不二の心」である。これを破壊しようとした悪人たちがいた。
 昭和54年(1979年)、私は第3代会長を辞任した。そして、学会本部ではなく、海が見える、世界につながる神奈川から、新たな広布の船出をしたのだ。
 悪人に誑(たぶら)かされた、愚かな最高幹部もいた。結局、冷酷な陰謀は打ち砕かれた。一番偉大だったのは、信心強き最前線の同志であった。
 師弟の心こそ、学会の根幹である。そこには少しの狂いも、不純物も、あってはならない。
 学会創立80周年にあたる2010年を、一つの目標として、新しい陣列を築きたい。ともに総仕上げをしてまいりたい(大拍手)。

●真実を記し残せ
 一、懇談的に、お話ししようと思う。
 きょうも、戸田先生の指導から学びたい。
 先生は、「聖教新聞によって、広宣流布の土台ができる」と、広布の機関紙に期待されていた。
 全国の新聞長をはじめ、聖教新聞の拡大に尽くしてくださっている、すべての皆様方に、私は心から感謝申し上げたい(大拍手)。聖教を、伸ばしていこう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 私は、先生の指導を克明に記してきた。先生は聖教に期待し、次のようにも言われていた。
 「人間は、ともすれば次第に惰性に流されていくものだ。聖教の記事を書くうえでも、惰性との戦いが大事である」
 「新聞もたくさんあるが、聖教新聞は必ず一番にならないといけない。休んではいけない。聖教新聞は必ず日本一に、世界一になるのだ」
 私も、まったく同じ思いだ。ゆえに、これまでも聖教新聞を主戦場として、書きに書いてきた。一流の新聞に!──そのためには、「真実」を記し残す以外にない。
 また戸田先生は、報道機関の使命について述べておられる。
 「現在は通信網が非常に発達しているから、新聞などの報道は、社会民衆を指導していく重要な役割がある」
 「新聞記者、雑誌記者に至っては、とくに、天下の木鐸(ぼくたく)をもって任ずるものである。高潔にして具眼(ぐがん)の士がなければならぬ」
 「木鐸」とは、人々を教え導く存在である。
 いよいよ新しい決心で、広布第2幕を開いてまいりたい。

●頭を使え!
 一、最高幹部は、しつかりと信心の眼を開けて、同志に対しては、優しく接することだ。
 自分で自分を訓練しなければ、皆も伸びることができない。すべては「人」で決まる。「人」を育てるのだ。全員が勝利者の道を歩む、そのための原動力にならなければならない。
 戸田先生は、最高幹部に、「頭を使え!」と厳しく指導された。
 幹部が形式にとらわれたり、慣性に流されては、組織は停滞してしまう。
 「今、何を考えているのだ」「考えろ! 考えろ!」「頭は、勝つために考えるものだ」とも言われた。
 幹部は、幾重にも考え抜き、祈り抜いて、課題を明確にしていかなければいけない。
 戸田先生は、「何世帯、折伏ができるのだ」「だれが、どうやって進めるのだ」と厳しく問われた。すべてにおいて、曖昧さを許さなかった。
 約10倍の拡大を成し遂げた、忘れ得ぬ「山口開拓闘争」も、戸田先生の「今のうちに至急、手を打つ必要がある!」との一言から出発したのだ。勝負は、時を逃してはならない。
 先生は、常に時代を見据えられ、「即刻、手を打とうじゃないか」と、一つ一つ先手を打っていかれた。
 また、弟子の私に、「最大の手を打ってくれたまえ」と追撃の一手を指示された。
 だから学会は勝ってきたのだ。そういうところが伸びていくのだ。
 勝つためには、抽象論ではいけない。具体的に、今、この時、即座に、手を打っていくことだ。
 この戸田先生の将軍学を、私は深く心に刻んだ。そして瞬時に行動に移してきた。

●環境に負けるな
 一、戸田先生は青年に語られた。
 「自分の境遇を嘆いたり、怠けているうちに、黄金の青年時代は過ぎ去ってしまう」と。
 時間がない、環境が悪い──こう愚痴を言っている間は成長はない。
 私は、戸田先生のもとで働きに働いて、御本尊の前に座れないときもあったが、歩きながらでも題目をあげた。
 環境ではない。自分に勝つことだ。
 また先生は「くどい話は必要ない!」と厳しかった。
 真剣な話、大事な話ならばいい。内容のない話、ホシをはずした話には、「簡潔明瞭に話せ!」と、一喝された。そういう先生であられた。

 一、「完璧な仕事というものは、普通の二百倍、三百倍の労苦を費やさなければできない」──これも戸田先生の重要なお話である。
 私は、戸田先生のご指導通りにやってきた。先生のために、二百倍、三百倍、否、千倍、万倍の労苦を捧げてきたつもりだ。
 学会の支援活動の初陣となった昭和30年(1955年)4月の統一地方選──。
 私は、東京の大田区と横浜の鶴見区の両方で、支援の責任者となった。どちらも、最高点で当選した。
 そして昭和31年7月の参院選──。
 戸田先生は、とても勝ち目のない大阪の指揮を、あえて私にまかされた。私に大きな試練を与えて、”どこまで、できるか”を試されたのである。
 その結果は──大阪は大勝利。勝てるはずの東京は大敗北。
 口で言うのは簡単だが、私は、厳然と、「仏法は勝負」の証拠を示して、戸田先生をお護りしてきた。戸田門下生としての一番の証しを打ち立ててきた。
 牧口先生と戸田先生。
 そして戸田先生と私。
 この三代に本当の師弟がある。後世のために明快に申し上げておきたい(大拍手)。

●私心を捨てて動く人間が必要
 一、戸田先生は「日本には人材がいない」と憂えておられた。
 とくに、「指導階級には一身の栄達を図ることに熱心な連中はいても、世のため、国のために、私心を捨てて動く人間が少ない」と言われていた。
 広布の指導者である皆さんは、人間として、人材として、指導者として、最高峰の人々の集まりである。また、そうなっていくよう、努力していくことを忘れてはいけない。
 「法妙なるが故に人貴し」(御書1578ページ)と大聖人は仰せである。
 宇宙を貫く大法を持ち、世界最高の哲学を実践している私たちである。
 その誇りをもって、広布のために力を発揮していただきたい。
 一、戸田先生は、停滞している組織に赴かれたとき、「さも信心しているように見せかけている幹部が多い」と指摘されていた。
 鋭い師匠には、すぐに見抜かれてしまう。
 また、全部、結果に表れてくる。
 「見せかけ」や「格好」で広布は進まない。 とにかく、本気になって、人を育てることだ。そこに歓喜が生まれる。
 会員には偉ぶり、敵からは逃げるような幹部ではいけない。
 同志には謙虚に接し、敵には傲然と戦っていく、慈愛と勇気の指導者となるのだ。
 一、戸田先生は、これからを担うリーダーに呼びかけた。
 「どうか十分な闘争をし、私と不離の間柄になってもらいたい」
 師匠と一体不二で戦ってこそ、本物の弟子である。

■ また、広布の指導者は、会合での話一つをとっても、新鮮味がなければならない。そこから、波動を起こさなければならない。
 話に幅がない。体験がない。勉強がない。求道心がない。それでは幹部失格である。
 自分に求道心なくして、相手に求道心がわいてくるわけがない。
 一対一であれ、会合の形であれ、人間の語らいは、一念と一念のぶつかりあいだからである。

 一、学会本部のある信濃町には、マンデラ前大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、世界の数多くの国家元首や指導者が訪ねてくださっている。
 モンゴルのエンフバヤル大統領も、そのお一人であり、創価学会の運動に深い理解を寄せてくださっている。〈93年11月に聖教本社で初会見し、本年2月に都内で4度目の会見〉
 大統領は語っておられた。
 「恩師は、私にこう教えてくれました。『人間は道をつくらなくてはいけない。それが何であれ、何かの分野で道をつくるのだ』と」
 「そして私は、道をつくる人生の手本を、池田会長の人生に見つけたように思うのです。
 池田会長は、創価学会という運動を通して、『大きな道』をつくっておられます。私たちがつくっている道は、池田会長の道と合流していくと信じています」
 私への過分な評価も含まれ、恐縮だが、ありのままに紹介させていただきたい。
 〈2003年11月の会見で。さらに2001年2月の会見では、こうも語っている。
 「池田先生は、日本一国にとどまる方ではありません。
 世界の多くの国々が先生を尊敬し、国連においても大変重要な立場にあると理解しております。
 世界の人々が先生の声に耳を傾けています」〉