投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 8月21日(日)06時55分18秒   通報
さて、この「円融」が 全ての実相だとしたら、三大秘法にもあてはまるのではないでしょうか。
先に上の表で著した様に、三大秘法もそれぞれ三諦に配されると解しました。
そして更にそのひとつ一つの中に更に三諦が内包されているのではないかと思います。

ここで少し空仮中の三諦のそれぞれを見てみますと、この三つは一体という事を抑えた上で、更に大きく分けてみれば
二つの部分があると思います。

まず、「中」は不変でありどの生命にも普遍である「真理」の側面であり、「空」と「仮」は「個」の生命を表すという面です。

それを立て分けた上で、更に、三大秘法を、内包された三諦に約すと以下の表の様になります。

<三諦>     (中)      ( 空        仮 )

本門の本尊     法            人

本門の題目     信            行

本門の戒壇     義(理ー法理)      事(事象として形に表れ出でるべき御本尊という側面)

これで六大秘法です。

また、日寛上人は、『法華取要抄文段』にも、戒壇の事・義の立て分けを示されています。
 その冒頭で、日寛上人は、こう言われています。

 「本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂く、義理なり。これ即ち事中の事・理にして、迹門の理戒に同じからず。
その名に迷うこと勿れ。故にまた義の戒壇と名づけんのみ」(『法華取要抄文段』)

ここで本門の戒壇の「理」を「義」と言っているのは、迹門(理)、本門(事)として立てるときの意味の迹門の理ではなく
御本尊として顕される体(事)に対して、その理、すなわち事の法理の部分を指しているのであるが、
この2つがまぎらわしいので「義」と名づけた、という事だと思います。

私には、ここまでしか分析はできませんが、但し、この義と事とは、通常、正宗流では、御本尊を御安置する場所の意味で使われているので、
又、違う意味があるのかもしれません。
教学の基礎p63には、広宣流布の暁には、最勝の地に大御本尊を安置する戒壇を建立する、それを事の戒法といい、
まだ、広宣流布が実現してない場合で、信心修行をする場所はどこでも事の戒壇と意義が同じなので、義の戒壇というとあります。

しかし、いずれにしても、現在の学会教学では六大秘法も信じてないので、これは、古い、正宗の教義という事ですね。