投稿者:小作人@地上の発心 投稿日:2016年 8月20日(土)17時54分1秒   通報
記憶違いでなければ平成2年の春頃、開館まもない神戸の長田文化会館にて、市内に本社を置く世界的運動靴メーカーの創業者(故人)を招いての「青年セミナー」が開催された。
第二次宗門問題の勃発前だったが、その後の「青年大学校運動」のはしりとも言える講演会で、須弥壇をパーテーションか何かで覆い隠してもちろん勤行も題目三唱もない外部会場と同じような体裁の会合。終わってから別室に連れ込んで云々といった折伏セミナーとは全く趣きが違い、社会に開かれた仏法のあり方を友人・知人や活動家でない内部の青年層に見て感じ取ってもらうのが主眼であった。
講師の方にも、ダイレクトに弘教につながる信仰体験を前面に出すのではなくて、信心を根幹にして一経営者としてどのように難局を乗り切り、鍛えられ、会社と共に成長していったかに力点をおいた講演内容にしていただき、連れて行った外部の友人にも斬新なイメージで概ね好評だった。

だが帰り際に一部こんな声もあがっているのを聞き逃さなかった。
「勤行せえへんだけで、あとは普通の学会の会合やん」・・・。

会合内容は悪くない。結局は参加者の受け止め方次第なのだが、どのような体裁を取ろうとも“お客さん”のスタンスから脱しきれないうちは時間の無駄とまでは言わないが、そこで得られるものは限られてくるだろう。
以後、何件かの大学校イベントに企画・運営面で携わったが、同様の冷めた反応を示す人たちは致し方ないこととはいえ多くが宗門との攻防戦の過程で組織からも去っていった。

自分がいようがいまいが関係なく、あたかも完成型の創価学会があって滞りなく平常運転しているかのような、自分からは何もアプローチ出来ないかのような、学会員でそんな感覚にとらわれている人は、職場など一般社会においても自分を一個の歯車に貶め、あまり使いたくない言葉だが社畜根性のようなものに人生を支配されて物事の善悪を見極め対処するのが困難である。
当掲示板で指弾されている一連の事態についても、まず事の深刻さが理解出来ていない。
一個のオーディエンスとして興味半分で世の中を眺めているうちに茹でガエルの出来上がりである。

若者よ、変転する時代と社会の傍観者になるな。あなたが一歩を踏み出さない限りは、あなたを取り巻く悪意や欺瞞や不条理は渦をまいて立ち塞がるのみである。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~   ~~~~~~~~~~~~~~~~~

潮誌での三年半にわたる『聞書・庶民烈伝』の連載を通読する中で、学会が民衆宗教としての本然の姿に立ち還るならば宗門との新たな対決は不可避であるとの確信を抱き、平成2年末の総講頭罷免に始まる出来事はおおよそ予期しえたことであった。
いわば満を持したかたちで「創価ルネサンス」の大闘争に欣喜雀躍として私たち当時の学生部は駆け出して行ったのである。

日蓮正宗などと一宗一派の傘下に収まるものではない。創価教育学会の原点に戻って、牧口・戸田両先生が本当に創りたかった民衆勢力を今これから池田先生の全魂の指揮の下で我ら青年、なかんずく学生部が一から築き上げていく・・・との気概をもって衣の権威に立ち向かい、またユース・ジョイント運動などで多角的・多面的な友好活動を模索しつつ共感の輪を広げていった。
関西の地の利もあって、友岡雅哉さんには毎年のように学生部の会合で講演を賜り、創価ルネサンス運動のコアになる部分と全体のアウトラインをその言説を通じて掴み取ることが出来た。

一握りのスペシャリストが運動を牽引するのではない。現場の一人ひとりが勇将となって新時代の広布を推進する。
当時の会長・秋谷栄之助が先生に対して面従腹背を絵に描いたような男であることは、多くの会員が知悉していた。
矢野絢也、藤原行正父子ら反逆者グループとの密接な関係も公然の秘密ともいえる事柄で、坊主どもと決着をつけると同時に学会幹部や公明党の組織悪にも現場から糾していくのは、指示待ち人間ではない活動家にとっては自明の理であった。

日寛本尊の授与、マイ聖教の推進、公明解党・新進党結党と続く流れの中で、以前よりも数に固執し現場に多大な負担を強いる上辺だけの成果主義が横行し、組織内のモラルハザードが深刻化していった。
シアトルがどうの、芸者写真がどうのと、教義面での正否を問う論戦からはかけ離れたスキャンダル合戦の喧噪に晒されて創価ルネサンスの精神は変質していった。

損失補填問題の発覚を嚆矢に数々の致命的失態を演じながらも秋谷は会長の座に踏み止まり、
その秋谷の権力基盤の不安定さに乗じて谷川・佐藤ラインの台頭を許してしまった。
“劣化版秋谷”たる原田稔はライバル・野崎勲の急逝によってポスト秋谷の地位を不動のものにした。
それら一連の動きの陰で暗躍したのが竹岡誠治と北林芳典(不破優)のコンビであり、
八尋頼雄を首魁とする法匪グループである。

関西においては、小沢一郎らと癒着した西口ワルゾーと不愉快な仲間たちが専横の度をきわめ、
副産物として森井昌義のごときどうしようもない穀潰しがのさばることになってしまった。

件の長田区では震災の余燼が冷めやらぬ中、「あいつ勤行なんか全然しよらんで」と周知の素性不明な男が何故か分県副書記長や区の創価班委員長に抜擢され、子分づくりに勤しんだ。
その子分たちが今も周辺の区域をまたいでいろいろと問題を引き起こしている。

   ~~~~~~~~~~~~~   ~~~~~~~~~~~~~

力及ばずではなく、最初からどこか他人任せで無責任なところがあったのだろう。
先生のご期待にお応えできず、創価ルネサンスを頓挫させてしまった。
「クソみたい、といったらクソに対して失礼な」(?岡庭昇)創価学会を現出させてしまった。

だから私たちの世代はあなた方に重い責任がある。