投稿者:螺髪 投稿日:2016年 8月19日(金)05時47分18秒   通報
 いつも、グッドタイミングのお話ありがとうございます。
 「勇気」について、こんな記述もありました。

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「キッシンジャーの人物評価」
「私の変わらざる信念は、交渉相手の人物を理解することがきわめて重要だということです。
 相手の知性ではなく人格です。知性の程度を確かめることはごく簡単です。しかし人生における困難な問題はすべて、賛否両論が知的なレベルで真っ二つに分かれた場合に起きるのです。
 ですから、いくつかの可能性の中から一つを選択する場合に人格がカギとなるのです」

 さらに、「現実主義」について①現状を追認するだけの現実追従主義②理想を持ちながらも冷静に実現の可能性を見きわめ、打開の手を打っていく、責任感に裏打ちされた現実主義に分け、
 「どんな偉大な事業も、はじめは『夢』に過ぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未到の道をひとり征くには、勇気が必要なのです」(SKP2015.1.16付)

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 「新・人間革命 【清新】50」
 「時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、いまいる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。

 それは、鎌倉時代における、『西方浄土』を求める現実逃避、『他力本願』という自己努力の放棄などと、軌を一にするといえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的傾向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめる、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。」
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 私が着目したのは、「つまり、人は、念仏的傾向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである」の箇所です。その「念仏的傾向」とは「弱さ」です。みんなの中にそれがあるということです。
 その誰にもある「弱さ」を破るために、「勇気」が必要ということですね。いまの社会にも、いまの創価学会にも、いまのひとり一人にも、この「勇気」が必要だと。