投稿者:代理投稿 投稿日:2016年 8月18日(木)22時22分12秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-8-24 【信越最高協議会】

■ 一、この8月、広宣流布の偉大な推進力である学会伝統の研修会が、有意義に開催されてきた。
 本日の協議会をはじめ、これらの諸行事を陰に陽に、厳然と支えてくださっている同志の皆様方に、私は改めて心から御礼を申し上げたい(大拍手)。
 師匠・戸田先生は繰り返し教えられた。
 「形式ではなく、事実の上で、皆のため、社会のため、人類のために働き、貢献している人をこそ、最大に尊敬していかねばならない」
 まさに、わが尊き同志の姿である。

●豊かな人間性を
 「現在、私は、北欧デンマークの著名な教育者へニングセン先生(アスコ一国民高等学校・元校長)と対談を重ねている。〈月刊誌「パンプキン」に連載中〉
 このデンマークの名門アスコ一国民高等学校では、今夏も、わが創価大学生と創価学園生が、充実の研修の歴史を刻んでいる。
 教育が、人類にとってどれはど重要であるか。
 チェコの教育思想家コメニウスは述べている。
 「教育されなくては(中略)人間は人間になることができない」(鈴木秀勇訳『世界教育学選集24 大教授学1』明治図書出版)
 「学校は人間を本当の人間にする」(同)
 英知と豊かな人間性を備えた人材を育てていく。それが教育の真の目的である。
 牧口先生、戸田先生が注目していたアメリカの教育哲学者デューイは綴った。
 「教育は、あらゆる人が、社会全体の幸福に関心を抱くようにさせねばならない。そうすることで、彼らは、人々の状況を良くしようと尽くす中に、自らの幸福を見出していけるようになるであろう」
 自分のことだけでなく、社会や世界のために行動する。それでこそ、より価値のある人生を築いていくことができるのである。

■ 正しい信仰を持った人生ほど、強いものはない。
 戦後、広宣流布のため一人立たれた戸田先生の確信は、それはそれは、すさまじかった。
 ある時は、こう語っておられた。
 「地球上にただ一人、戸田城聖という不思議な人間が生まれてきたのだ。みんな覚悟して、ついてきなさい。私を知った人間は幸せなのだ」

 またある時は、弟子たちを、こう叱咤しておられた。
 「おまえたちは、私の本当の偉さがわかっていない。私の言うことを、『そうだ!』と信じなさい。『そうだ!』と思ってやりなさい」
 先生は戦時中、獄中で唱題を重ねる中で”我、地涌の菩薩なり”との大確信を得られた。広宣流布という自らの使命を、深く深く覚知された。
 妙法流布の指導者としての大確信と覚悟があったからこそ、先生の指導は厳しかった。魂を射抜くような鋭さがあった。
 そして先生は、実際に75万世帯の弘教を成し遂げ、広宣流布の基盤を築かれたのである。
 また、先生は語っておられた。
 「迅速果敢な行動──そこに勝利がある!」
 私は、この指導のままに行動した。大変なところがあれば、飛ぶようにして駆けつけた。電光石火で手を打った。そして、各地で勝利の旗を打ち立てた。
 折伏でも勝った。先生の事業の苦境も打開した。
 先生は、本当に喜んでくださった。「本物は大作だけだ。大作がいて、私は本当に幸せだった」とまで言ってくださった。
 師匠のため、広宣流布のために、汗を流す。痩せる思いで戦う。それが真実の弟子だ。私は、この覚悟でやってきた。

●一つ一つが挑戦
 一、六十年前、私が入信した当時は、勤行をはじめ、入信のための儀式が非常に長かった。
 私は、戸田先生の人間性には深い感銘を受け、先生についていこうと決めていた。しかし、信心のことは、まだよくわからなかった。
 戦争が終わり、ようやく自由で、新しい世の中になった。私は19歳の青年。青春のさなかである。
 正座をしてお経をあげたりすることが、なんとなく時代遅れで、気恥ずかしく思ったことも事実だ。
 また、実家には先祖代々の宗教があった。信心を始めることについて、家族に理解してもらうのも簡単ではなかった。一つ一つが挑戦であった。
 そのころから、宗門の坊主はずいぶん、威張っていた。衣の権威をかさに着て、学会を従わせようとさまざまな文句や注文をつけてきた。
 戸田先生は、こうした宗門の体質を見抜いておられた。
 だからこそ、広宣流布を忘れた坊主を厳しく責められた。日蓮大聖人の精神に立ち返れと、叫ばれたのである。

● 一歩ずつ着実に
 一、私はこれまで多くの世界の指導者と語り合ってきた。
 その中でも、とりわけ印象深い一人が南アフリカの大統領を務めたマンデラ氏である。
 氏は、1万日に及ぶ獄中闘争を乗り越え、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃に導いた、人権の闘士である。
 出獄した年に来日し、私に会うために東京の聖教新聞本社を訪れてくださった(1990年10月)。大統領に就任された後、迎賓館でお会いしたことも忘れられない(95年7月)。
 マンデラ氏は述べている。
 「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よ生活を追い求めずにいることは、不可能なのです」(東江一紀訳『自由への長い道──ネルソン・マンデラ自伝(下)』日本放送出版協会)
 不正や抑圧とは断固として戦う。よりよい社会を求めていく。それが本当の人間である。 氏は、こうも言う。
 「指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、群れより先を行き、新たな針路を拓かなくてはならないときがある」(同)
 リーダーが先頭に立って戦う。道を開く。それでこそ、大きな戦いのうねりを起こすことができるのだ。
 「勝利をつかむその日まで、一歩ずつ、着実に進んでいきます」(前掲『自由への長い道(上)』)
 これも、氏の言葉である。少しずつでもいい。前へ、前へと歩み続けることだ。絶対にあきらめないことだ。
 イギリスの歴史家トインビー博士は、私との対談で語っておられた。
 「あらゆる生物は、本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても、なおその権力を己の利益のために乱用したいという、強い誘惑にとらわれるものです」
 権力は魔性である。だからこそ、権力者を厳しく監視していかねばならない。これは、戸田先生が強く訴えておられたことである。

● 使命の大道を!
 一、国と国の間においても、忘れてはならない文化の恩義がある。
 私は、仏教伝来の大恩ある中国、韓国、またインドなどの国々と、深い報恩の心と、未来の青年の道を開く決心をもって、平和友好の橋を結んできた。
 そうした私の行動を、饒先生は深く温かく理解してくださっている。
 〈対談で、饒教授は述べている。
 「池田先生は、1968年、いち早く中国の国際社会への復帰を盛り込んだ『中国提言』を発表し、中日友好の先鞭をつけられた万です」
 「(次代を見据えて池田先生が推進される)『青年』『教育』に焦点をあてた交流は、実に素晴らしい。
 中国と日本の架け橋として尽力された方は少なくありませんが、池田先生のように、”未来”という縦軸と”民衆”という横軸に、友好の心を広げてきた方は稀なのではないでしょうか」〉
 私は、さらに一段と、平和への対話の波を広げてまいりたい。これが、恩師から託された使命の大道だからである(大拍手)。

■ 一、知恵は”現場”にある。
 どうすれば、皆が戦いやすいか。歓喜に燃えて動けるか。
 どうすれば、人材が育つか。結果が出るか。勝てるか。
 それは、現場で戦っている第一線の同志が一番よく知っている。
 真面目な婦人部の皆さん方が一番よく分かっている。
 その方々の意見を、しっかりと聴くことだ。
 現実に即した、いい意見を、どんどん出してもらうのだ。
 人にやらせてばかりのずるい幹部になってはいけない。戦っている同志から学ぶのだ。自ら同志の中に入っていくのだ。
 役職云々ではなく、同じ人間として、人間らしく、尊い同志とスクラムを組んで一緒に進んでいくことだ。
 そこから、新たな発展が生まれる。

●大信力を起こせ
 一、人生とは、行き詰まりとの戦いである。
 戸田先生は、こうおっしゃった。
 「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の『発迹顕本』である」
 先生は、こうも言われた。
 「御本尊の力というものは広大無辺である。『こうせよ!』『ああせよ!』と心に教えてくださるのである」
 根本は祈りである。常に祈りから出発するのだ。
 祈って戦った人は、聡明になる。福運がつく。
 人の見ていないところで、表面に出ないところで、100%頑張れる人が、偉大な人である。だれが見ていなくとも、戦った足跡は、わが生命に厳然と残る。
 御本尊がすべてお見通しなのである。

一、先生は叫ばれた。
 「敵のいない人間など信用できるか!」と。
 権威や権力を恐れてはならない。
 幹部が保身になり、いい子になっては会員を守れない。学会を守れない。
 偉ぶっている人間にこそ、言うべきことを言っていくのだ。
 ナポレオンは語った。
 「私と他の君主の唯一の違い」──それは、「彼らにとって、困難は行動を妨げるものであるが、私は困難を乗り越えるのが好きなのだ」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社から)

■ 一、人生は、だれ人たりとも、「生老病死」との戦いである。
 しかし、妙法の大良薬を持ち、広宣流布を断行しゆく創価学会という、生命の究極の安全地帯で生き抜く人生は、いかなる苦難があろうとも、一切を「常楽我浄」へ転じていくことができる。
 肺を患い、無理に無理を重ね、「30歳まで生きられない」と言われていた私が、わが同志の真心の祈りに包まれて、かくも元気に世界広宣流布の指揮を執ることができている。
 この姿それ自体が、大仏法の「更賜寿命」の仏力、法力の証明であり、「不老長寿」の大生命力の実証と、私は感謝申し上げたい(大拍手)。

●民衆に力を!
 一、声が大事である。声が弾丸である。声が剣である。しやべるのだ。声の力で、相手の心を開き、心に響かせていくのだ。
 また、勇気と誠実で会って語れば、越えられない壁など絶対にない。
 私と妻が今も深い親交を結ばせていただいている、元ソ連大統領のゴルバチョフ氏との出会いも忘れられない。
 「きょうは、大統領と”けんか”をしにきました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう」──クレムリンの一室で初めてお会いした際、開口一番、私はこう申し上げた。
 それを通訳が伝えるや、氏は、あのゴルビースマイルを満面に浮かべ、あふれるユーモアで応戦された。
 「池田会長がこんなに”情熱的”な方だとは知りませんでした。私も率直な対話が好きです」
 出会った瞬間に心と心が結ばれたのである。〈1990年7月27日。席上、ゴルバチョフ氏は名誉会長に翌年春の訪日を明言し、テレビや新聞で大きく報道された〉
 統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領も、背が高く、きりっとして、「哲人政治家」にふさわしい、品格ある紳士であられた。(会見は1991年6月12日)
 ライン河のそばの大統領官邸の一室に案内してくださり、小さなテーブルを囲んで、じっくりと1時間語り合った。
 大統領は言われた。
 「我々人間は、物質的繁栄だけではなく、人間自身のこと、そして人間の連帯、共存ということに関心をもたねばなりません。SGI(創価学会インタナショナル)が、そうした方向へ努力しておられることを私は知っております」
 一流の人物は見るべき点をきちっと見ている。
 冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したとき、大統領は、こう演説した。
 「人民が政治に方向性を与えているのです」(永井清彦訳『ヴァイツゼッカー大統領演説集』岩波書店)
 権力が人間の運命を決めるのか。違う。人間自身である。連帯した民衆である──。
 こうした歴史観の上から、大統領は、民衆を結び、民衆に力を与えゆくSGIの人間主義運動に深い信頼を寄せてくださった。
 さらに会見の4年後には、ドイツSGIの平和の城ヴィラ・ザクセン総合文化センターを訪問され、友情の歴史を刻んでくださったのである。

■ 一、結びに、新潟県中越沖地震で被災された方々に重ねて心よりお見舞い申し上げます。
 被害の大きかった柏崎市を中心とした地域の皆様方も、勇敢に立ち上がり、希望に燃えて再建へ戦っておられることは、よくうかがっています。本当にご苦労さまです。妻とともに、お題目を送らせていただきます。
 長時間、本当にありがとう! またお会いしましょう!(大拍手)