投稿者:モンブラン 投稿日:2016年 8月16日(火)19時05分28秒   通報
ごく少人数で、池田先生の懇談の場に参加させていただいたことがある。先生のご指導について話題になったさい、先生が一言「同じことなんだ、目先を変えてね」と仰った。
 「同じこと」とはどういうことか、知りたく思い、入手可能な先生の著作に目を通すようになった。神田の古本屋から、池田会長講演集全館購入した。読み進めると、扱うテーマは多岐にわたるものの、先生の主張は、一貫していることに気づいた。
 たしか、本幹だったか、記憶ベースだが、「私の指導は、すべて戸田先生か、御書にある。もしくは、牧口先生のご指導にある。我見はないんだ。」と。

先生のご発言がないということは、了承されているということだ、との幹部の説明ほど、学会員をばかにしきったものはない。御書・先生の著作を、学会員がろくによんでいないという前提での発言だ。

 池田先生の直弟子と自称するのであれば、本部のすべての打ち出しについて、御書・三代会長の著作を引用しながら、誰しもが納得できる説明する責任がある。

 説明できないこと自体、池田先生に反逆していることを証明している。

 反逆者となるためには、池田先生に、信頼されていることが大前提である。何ら先生の信頼を勝ち得ていない人物は、反逆者にもなれない。

 池田先生が陣頭指揮をとって下さっているからこそ、多くの不条理を、先生に免じて現場の会員は忍耐してきたと思う。実は、池田先生に実権がなく、敵だらけの中、獅子吼しながら、戦い続けてくださっていたことに気づいた今、悪党どもを一人残らず叩きだすしかないと思う。

 池田先生と、学会本部を、同一視していることが、大間違いと気づいたときの学会員の怒りはいかばかりか。