投稿者:飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 8月 8日(月)09時57分8秒   通報
原田会長は「センセーの勝利の方程式は不変だ」と言いながら、
池田先生がいじるなよと言った、宗教の要である本尊を変え

根拠のない認定権を掲げるが、発動される様子もない。

それに関連して日寛教学に「今後使用しない部分」の設定を
すると言うが、この詳細は不明。

基準をあいまいにしておいて、都合の悪いことを言う者を
罰するというのは、典型的なダブルバインドという圧力で
あり、それ自体が権力悪の行使である。

池田先生の直弟子と名乗るならば電光石火の行動ができて
しかるべきと思うが、聖教新聞の記事も「いつの記事だよ」
という有様が露呈。

池田大作全集の発刊も打ち切り、過去の指導も編集し
内部の権力悪との闘争の内容は消して、学会についてくるよう
包み込むような部分だけを使用。

まともな対話も行わず、ご都合主義の仮想敵の設定と

都合の悪い所に気づき疑問を持ち、正す勇気を持った者への
でっち上げを一方的に押し付け、デマを吹聴し、見せしめの
処分を乱発し、封じ込めようとする独裁体質。

「いいですか!会長は偉い人なんです!わかりますか!」
などというバイアスが蔓延。

「三代の会長が作った創価学会だから」という想いを
悪しく利用して「日蓮世界宗創価学会」の「会憲」で
世界の頂点に立つことを画策して世界を滅ぼそうとしている。

「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」
戸田先生が命より大事と言った創価学会仏たる学会も
その規模が大きい分、あしくうやまはば世界亡ぶべしである。

言葉、概念の上だけで仏法や三代の会長の精神の不変が
残っていて内実が伴っていないならば、これは形骸化である。

まして、意図的であるならば極悪である。

退転者が、初めから信心を知らない者よりもかえって
法華経の行者を謗るのと同じ方程式で

いかに近い所で薫陶を受けていようと師弟の道を一度踏み外せば
かえって増々、師の指導とは違う方向へ進むのである。

恐るべし恐るべし。

初めから幹部への疑義を知らない者よりも、知ってそれでも
我見で一くくりに幹部批判をダメだと言う者の方が、かえって
増々支離滅裂なとんちんかんな事を言うのである。

自らの生命を自ら曇らせる。
そんな愚かしい行為は仏法に反しているのである。

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「私は、できることならば、全同志とお会いしたい。皆さんの
会長ですもの、皆さんに仕えるのが当然であると思っています。
それが幹部なんです。会員の皆さんがいるから幹部がいる。幹
部のために会員がいるんじゃありません。もしも、それを幹部
が勘違いしたら、学会は滅んでいきます」
小説 新・人間革命 26巻 法旗 53

「先んずれば人を制す」である。今、日本も、そして世界も大き
な変革の時を迎えている。学会にとっても、万年の発展を考える
上で、今ほど重要な時はない。 特に最高幹部が、本当に宗教革
命の気迫、広宣流布への気迫を失い、惰性に流されるようになっ
たら大変だ。そうならないように、今こそもう一歩、ここで自分
自身の「大革命」、「人間革命」をして、進んでいかなければな
らない。広宣流布を何としても実現し、学会を大発展させていく
のだとの気概が、本当にあるのか。学会が大きな民衆勢力となっ
たからこそ、この一点をもう一度、幹部自身が厳しく問うていく
ことだ。今までどんなに頑張ってきても、途中で手を抜けば、す
べてが水泡に帰してしまう。口先だけの要領や遊び、ずるさがあ
ってはいけない。責任を持って、最後の最後まで、真剣に戦い抜
いていくことだ。自分を「覚醒」させ、生まれ変わったような思
いで進むことだ。今こそ本気になって、立ち上がるのだ。(中略)
中心者の姿が、本末究竟して全体に現われてくるのだ。
聖教新聞 2008年11月14日付 創立78周年記念最高協議会

組織が良くなるか、悪くなるかは、中心者や幹部のいかんによって
決まってしまうからだ。彼は、学会が官僚主義的な、画一的で偏狭
な組織になることを何よりも恐れていた。(中略)だから彼は、幹
部には常に厳しかったし、その育成に全力を注ごうとしていたので
ある。だが、彼が最も厳しかったのは、自分自身に対してであった。
(中略) 伸一は、大晦日の深夜までかかって、各地にメッセージ
を送った。その文面も、各地の諸状況を考えに考え、この一年の、
そして、各地の原点の指針となる指導性を含んだメッセージであっ
た。それも会員に尽そうとする、彼の一念から発した激励であった。
小説 新・人間革命 5巻 獅子 287~8頁

Q:教育についてはどのようなお考えですか。

「教育は人間の基本にかかわる問題。その人間を、どのように立
派に育て上げるかという意味において、これほど尊い、重大な事
業はありません」

Q:先生(池田大作)のことを、一般の人は〝教祖”(拝まれる
対象)と思ってる人が多いと思うんですが。

「指導者という次元と、いわゆるどぐまの教祖という一宗の教祖
というのは、 似たようであって、根本的に違うのです。(私は)
人間であって、人間が人間をひっぱっていきます。

反対に、人間が宗教に押しつぶされて、いわゆる奴隷になって、
どんどん宗教を権威づけて、 それで自分の地位が圧迫されて…、
こういう歴史が今日までの実態でありました。

だから、平和であるべき幸福であるべきものが反対に、聖職者や
宗教という名を借りて、 どれだけ多くの人が反対に惑わされてき
たか。これも峻厳なる事実です。

生命は公平な尊厳さがある。僧が上、信徒は下、とんでもない間違
いです。

創価学会は会長が上、会員は下、とんでもない間違いです。
もうそうなった場合は、創価学会も邪教です!」

Q:21世紀について

「人間復権ですね。もう一度、人間が『人間らしく』生きていく社会。

人間が人間らしく幸福に生きていく平和を追求していく時代になりま
したね。

もう飽き飽きしましたね。力の論理、利害の論理、いがみあい、紛争。

もっと賢明に、もっと安心して、もっと平和に楽しんでいこう。

ともかく、地道であるようであるけれども、一人ひとりに平和の種、幸
福の種、信頼の種、人間らしい本当の人間の種、 これを植えていく運動
が21世紀だと思うのです。道遠くとも、それしかないです」