投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月23日(金)15時21分7秒  

本日23日付の聖教新聞「御書とともにⅡ」 道妙禅門御書P1242
四種の祈りについて掲載されていたので、これについて掘り下げていきたいと思います。

祈りのありかた四種
・顕祈顕応(けんきけんのう)
問題に直面した時に、打開に向け、真剣に祈りで現実に結果が顕れること。一番わかりやすい祈りである。
祈って目に見える形として顕れれば、誰もが信じるでしょう。功徳論の王道であり、初心の功徳として生じ易い現証となります。

・顕祈冥応(けんきみょうおう)
具体的に祈念していても、結果として顕れないが、祈りの功徳が生命に積み重ねられていくこと。どんなに祈って行動しても、結果が出ないときもあります。勝負というのは勝てばいいというものではありません。そこに人としての成長や気づきがあるかどうか。たとえ敗北したとしても、そこで何を得るかが重要となります。また、病気に関しても、なかなかよくならないケースがあるのも、信心を深めるためであり、生命には厳然と功徳が積まれています。

・冥祈冥応(みょうきみょうおう)
日々のたゆまない唱題が、仏の境涯を開いていくこと。信心で大事なことは境涯革命であり、自身の仏を開いていくことが肝要中の肝要。これを外してしまったら、元も子もない。

・冥祈顕応(みょうきけんのう)
日々のたゆまない唱題が、事あるごとに顕現され、現実の功徳の現証として生じること。祈っていなくても祈りが叶うという現証。求めずして自身に必要なものが集まってきます。現実面で手に入ったものは仏意である可能性も高いのではないか。私の例をあげれば、祈っていたわけではないですが、池田大作全集を100冊以上手に入る機会がありました。私はこれを「全部読めってことね」と解釈しました。

どのような祈りと結果があっても、法華経の信心を貫けば、「所願満足」の人生を送ることができるというのが、日蓮大聖人の仏法なのです。

掲載御書の続きに法華経の文を引かれています。
「魔および魔民があったとしても、ことごとく仏法を守護する」
「この経を信受すれば病即ち消滅して不老不死となるであろう」

大聖人は、この金言を疑ってはならないと。どんなマイナスもプラスに変えることができ、敵すらも味方に変えられる。病の苦しみも、自身の仏を開く、善なるものへと転換できる。何があってもなくても、信心をつづけていくこと。悪い幹部が出現しようと、学会がおかしな方向に行こうと、勤行唱題の実践だけは揺るがすことなく淡々と行っていきたいものです。

いかなる時代や状況になろうと、それだけは真実であり、間違いのない無上道なのだから