投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 6月29日(水)02時26分21秒
さて、はなしはかわりますが、

だいしょうにんからゆいいつ〝すりはんどく〟のあだなをつけられたとのきじょうにんごしょぺーじは、
ははのさんかいきついぜんほうようのために、みのぶにいるだいしょうにんにくようのしなをとどけたことがありました。

そのくようのしな々じなのへんれいとして、とのきじょうにんはだいしょうにんからおてがみごしょ982ぺーじをいただいています。

そのてがみのないようをかんたんにせつめいすると、

ほけきょうでとかれる〝そうたいしゅのじょうぶつ〟と〝じゅるいしゅのじょうぶつ〟のにしゅるいのじょうぶつについて
もんどうけいしきでせつめいされながら、とくに〝そうたいしゅのじょうぶつ〟をとおして、まつだいぼんぷのそくしんじょうぶつのほうもんをおしえられました。

そして、そうたいしゅのじょうぶつのほうもんをきいてはじめて、しんのいみでほけきょうをきいたことになる。

なぜなら、ほけきょうはばんにんじょうぶつのきょうてんであり、ほとけのしゅっせのほんかいは「いちぶつじょうそくしんじょうぶつ」をとくことにあったからだ。

だからぼんぷのそくしんじょうぶつをかのうにする〝そうたいしゅのじょうぶつ〟のほうもんをきかないかぎり、
そのたのほけきょうのほうもんをきいても、ほけきょうをきいたことにはならない・・・というものです。

いったい〝そうたいしゅのじょうぶつ〟とはなにでしょう。

むずかしいはなしはなるべくさけてはなしをつづけます。
だいしょうにんはほけきょうやくそうゆほんだいごの「しゅ・そう・たい・しょうのよんじ」のぶんをとおして、
まつだいのぼんぷがほけきょうをしゅぎょうするほうほうがふたつあり、ひとつは〝じゅるいしゅのかいかい〟と、
もうひとつは〝そうたいしゅのかいかい〟があるとのべました。

〝かいかい〟とは、かんたんにいうと「じょうぶつ」といういみです。

また「しゅ・そう・たい・しょうのよんじ」の〝しゅ〟はほとけのしゅし、つまりふつしゅのこと。
〝そう・たい・しょう〟はじゅうにょぜそう・たい・しょうのことで、しゅじょうのすがた、にんげんのせいめいということです。

まず〝じゅるいしゅじょうぶつのしゅぎょうほう〟は
どうるいしゅともひょうげんし、げんいんぶつしょうとけっかぶっかがおなじものでなければならないという
ぜんていにたって、じしんのぶつしょうをかいはつするしゅぎょうでぼんのうをはいし、まよいをのぞいて、

ひたすらせいじょうなぶつしょうをひらいてぶっかにいたるためにせいめいほんらいのちからをだしていくことです。

つまり、ぶっぽうのいんがでいう〝ぜんいん〟をつんで〝ぜんか〟である「ぶっか」をじょうじゅするということです。

それにたいして

〝そうたいしゅじょうぶつのしゅぎょうほう〟は
ぼんのうむみょう・ごうあくごう・くしょうじの〝さんどう〟が、
そのままほっしんぶつしょう・はんにゃちえ・げだつじざいの〝さんとくさんしんにょらい〟にてんずることです。

つまり、あくごうがてんじてこうふくへの〝いん〟となることであり、
ぼんぷのまよいとくるしみのせいめいじたいが、そのままふつしゅ、ぶつしょうをかいはつするきっかけとなって

ぶっかをじょうじゅするといういみです・・・どういうことなのか、じっくりみていきましょう。
だいしょうにんはどんなきょうぐうのひとであれ、まつだいのぼんぷは
かならず〝そくしんじょうぶつ〟できるげんりをもんどうけいしきでわかりやすくおしえました。

そしてまず、ぎなんをなげかけてこういいます。

「いままでのはなしをきいて、ちょっとぎもんにおもうことがある。
そもそもひからみずはでないし、いしからくさはしょうじない。

あくいんがあるからあっかをかんじ、ぜんいんはぜんぽうをしょうずるのはぶっぽうのじょうしきであり、
さだまったいんがのりほうであるしゅい」ごしょ983ぺーじと。・・・しもんぶつじょうぎ

このぎなんはわたしたちにとってもひじょうになっとくできます。

たとえば、じゅうどしょうがいしゃであるグリグリのみうちはいきることじたいがくるしみであり、
くるしみのげんいんになっているしょうがいのみは、そのこんげんをさぐれば、かこせのほうぼうゆえであり、

どん・じん・ちのさんどくよりしょうじたものです。

しかもこのぼんのうであるさんどくとくかのにどうによって、くるしみのせかいにしばりつけています。

それなのにどうしてこのさんどうぼんのう・ごう・くが
「じつはさんどうが、ほかならぬさんとくほっしん・はんにゃ・げだつなのだ」といえるのですか。

そんなこといわれてもとうてい、なっとくできるものではない・・・となります。

だいしょうにんはこのぎなんをもうけて、なんとこたえたかというと

「あなたのうたがいはもっともなことです。わたしはこのことをこころえていない。ただし・・・・・」どうぺーじとかたり、

りゅうじゅとてんだいのげんせつをいんようして「そくしんじょうぶつ」のほうもんをあきらかにし、こうのべます。

「りゅうじゅはみょうほうの〝みょう〟のいちじをかいしゃくして
『たとえば、だいめいいがよくどくをもってくすりとするようなものである』といわれている。
〝どく〟とはなにかというとわれらのぼんのう・ごう・くのさんどうのことであり〝くすり〟とはなにかというと、
ほっしん・はんにゃ・げだつの〝さんとく〟である。

『よくどくをもってくすりとする』とはどういうことかというと、さんどうをへんじてさんとくとすることである。

またてんだいは『みょうはふかしぎとなづける』といい
『いっしんにじゅうほうかいをぐしている。あるいはまたふかしぎきょうという。こころはここにある』といわれている。

そくしんじょうぶつのほうもんとはこのことであるしゅい」ごしょ984ぺーじと。・・・しもんぶつじょうぎ

ここまできいても、やっぱりぶっぽうのいんがからいえば、あくいんがあっかをうみ、ぜんいんがぜんかをうむのであって、
あくいんがそのままふついんになるという「そうたいしゅのじょうぶつ」はりかいできません。

しかし、りゅうじゅはみょうほうの〝みょう〟のいちじを、めいいの「へんいやく」にたとえました。

つまり、めいいはびょうしゃのやまいをなおすために、どくをちょうごうしてくすりとしますが、
もんだいはどくをいかにしてやまいにきくくすりとするかにあります。

そのばあい、めいいのちょうごうしたどくを、かんじゃじしんのせいめいりょくで「やまいをなおすくすり」にてんじているのであって、
めいいはかんじゃじしんのやまいのじょうきょうやせいめいりょくをよくしったうえでくすりをつくるものです。

めいいはほとけであり、かんじゃはぼんぷであるわたしたちです。やまいはまよいです。

ほとけはしゅじょうのまよいというやまいをなおすために、やまいのみなもとであるさんどうそのものをぎゃくにりようし、
それをつかってやんでいるしゅじょうのせいめいのなかでさんとくのくすりとなるようにしむけているのです。

また、てんだいが〝みょう〟のいちじを「ふかしぎ」となづけたのは

〝じゅるいしゅのじょうぶつ〟は、ぜんいんをつんでぜんかであるぶっかをじょうじゅするしゅぎょうほうだから、
ぼんぷのわたしたちにもりかいしやすいので「しぎぎろんしやすいしゅ」としたのにたいして

〝そうたいしゅのじょうぶつ〟は、すでにぶっぽうのいんがはこえていてりかいできないことだから
「ふかしぎぎろんがふかのうしゅ」とたてわけて、そういったのです。

といはさらにつづきます。